タカ長の山ときどきタカ見

「タカ長のタカの渡り観察」の別室です。八十路の坂を登りながら更新してゆくつもりです。

冬将軍がやって来た

2024-01-23 13:44:34 | 山歩きから
    

わが裏山にも冬将軍がやって来ました。いつもの駐車場から窓ヶ山や向山が見えないくらい雪が降っていました。

しかし、タカ長たちが歩く裏山までは雪も来ません。そのような天気の中を14名が出発。

    

中国自然歩道を歩いて天空カフェに向かいました。タカ長たちはいつものようにラストグループです。

寒いので厚着のまま出発しましたが、涸沢まで行っても汗が出ないので、前回と同じように小畑沢の先までそのまま歩きました。

    

寒いと水の消費量も激減です。極端に言えば、今日のコースくらいなら水を持たないで参加しても大丈夫の感じです。

でも、もちろん水はいつものように持っており、量は少ないながら、飲みながら歩いていています。

    

皆さんは荒谷林道まで足を延ばされましたが、女房殿は天空カフェに直行。と言うことはタカ長も天空カフェに直行です。

皆さんが到着まで天空カフェで日向ぼっこ。でも、太陽は時々雲の中に入ることもありました。

小鳥たちの訪問はナシ。本当にこの冬は鳥が少ないようです。

    

荒谷林道まで行った仲間たちが帰ってきていつものようにコーヒータイム。

型通りのことなので、特記事項はありません。コーヒータイムのあと同じ道をいつもの駐車場に帰りました。

    

海が光っていました。そして、、、

    

小さな雪が降っていました。

    

窓ヶ山の方は見えるようになっていましたが、小さな雪は降っています。

今夜から明日にかけてが寒波の底みたいですが、タカ長たちの町が白くなるような雰囲気はありません。この時間は晴れて、ときどき、風花が舞う程度です。

北陸地方のこともあるので、冬将軍様にはおとなしく日本を去って欲しいですね。


    

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古本読みの楽しみ

2024-01-22 07:46:28 | 日々雑感
    

1990年に出版されたこの本を買いました。もちろん古本です。

古本ですが、思いのほか面白い本です。その意味は色々あるのですが、その一つが世代をまたいでモノを見ることが出来ることです。

1950年代、1960年代前半のころの日本の海外留学生は、世界で最も好奇心にもえた、最も勤勉なものたちで占められていたが、今の若者にそのようなエネルギーを感じることが出来ないと嘆く著者。著者が嘆いたその若者が親になって、その子たちが成人している。その今の状況はどうか?

この本では最新の利器として携帯電話やワープロが登場するが、スマホやパソコンが私たちの生活に入ってくることなどもちろん予見されていません。その落差の面白さ。

    

救われる思いをしたところもあります。

著者は若くして逝った作家の名前を列記しています。

開高健58歳、「丹下左膳」の林不忘35歳、大詩人萩原朔太郎55歳、織田作之助33歳、火野葦平52歳、梅崎春生50歳、高見順58歳。

タカ長でも知っている作家がこのように若くして逝っていることに驚きました。著者は言います。

だから平均寿命などという数字を基準に人の生涯を見て若死にしたとかどうとか言うのは誤っている、人の一生はその生の密度こそ見なければならぬ、ということがわかる。(中野幸次)

    

この一文を見て救われるような気がしました。54歳で亡くなった長女は芸術家ではないので、目に見えるものは残していません。しかし、長女なりに高く羽ばたいて生き切ったことは感じています。長女も、「思い残すことはない」と言い残して逝きました。この一文を読んで、そのような長女の生き方を全面的に肯定されたような気がしたのです。

    
               「羊」と題する陽子ちゃんの遺作です。 

陽子ちゃんは45歳で不慮の事故死しましたから、彼女の人生を生き切ったとは言えないかも分かりません。しかし、人の生き死には人知を超えたものだと考えれば、たくさんの作品を残して逝った陽子ちゃんの死も、受け入れられないと思いながら受け入れないといけないという気持ちになりました。

この本は52円でした。今日は1円の本をワンクリックしました。古本は財布に優しくて、年金生活者には助かりますね。


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人相だけは

2024-01-20 07:31:58 | 日々雑感
    

ご存知のように日本の政治がゆれています。

毎日テレビで見るセンセイがたの顔ですが、どなたを見ても人相の悪い人ばかり、と思うのはタカ長だけでしょうか。

    

何でもいい、何事かに、欲得ぬきで全身全霊で打ち込んでいる人の顔は美しい。自分にはこれしかない、だからこれに打ち込んでいるんだ、というような人の顔はいい。自分の全部が顔に現れてきたとき、人は初めて顔を持つと言えるのだろと思う。(中野孝次)

タカ長のイメージでは、永田町には「欲得ぬきで」全身全霊で打ち込んでいるセンセイがたはいません。そのため皆さんあのような顔ばかり。

その人の生き方は顔に現れます。口でいくらいいことを言っても人相だけは誤魔化せません。心したいですね。





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落ち葉とソーラーパネルの山

2024-01-18 09:37:30 | 山歩きから
    

スマホから投稿したように、昨日、仲間たちと「廿日市20名山」を目指している相棒と野貝原山の下見に行きました。

タカ長は2019年1月以来の山、相棒は30年以上前に登っただけだと言っていました。

野貝原山はそもそも登る人の少ない山です。1980年10月発行の「リュックかついで 広島の山歩き」(中国新聞社刊)には名前さえ見えません。

青春のころ、この山の西側から一直線に山頂を目指した記憶はあります。鉈をもって、藪をこぎながらとにかく直進。そのようなバカなことをした記憶はありますが、どこから山に取りついたのか、そして山頂までたどり着けたのかどうか、その記憶はありません。

そのような山の下見登山です。大歳神社の先の住宅の擁壁の上にこのようなプレートがあります。ここからスタートです。

    

その先から落ち葉道。氷河ならぬ、「落葉河」の末端から歩き始めた感じです。氷河にはクレバスがつきものですが、「落葉河」には枯れ枝や石ころが隠れていて歩き難いことこの上なし。

ひと回り若い相棒はスイスイ(?)と登って行きますが、タカ長はえっちらおっちら。落ち葉に足を取られて、自分のフォームで登ることが出来なくて、時には四輪駆動で登ることになりました。

    

そのため写真どころではありません。足場の良いなだらかな尾根で、このような写真を1枚撮っただけです。

    

先行する相棒にはこの雨宿岩で待ってもらいました。その前にも何回か遅れて行くタカ長をつかず離れず待ってくれましたが、これはいつものことです。

    

前に来た時は、山頂部の巨石めぐりをして、この岩の向こう側から手前に帰って来たことがありますが、これまでの状況を見て巨石めぐりはしないことにしました。山が前回より荒れていたら大変ですから、、、、、。

    

そこから少し登ると方位石。特別な岩ではありません。ここはスルー。

    

山頂のすぐ近くからこの程度の展望。海が見えますが、山頂からの展望はないようなものです。

    

山頂で立ち休憩しただけで、ソーラーパネルを見に行くことにしました。

山頂の近くに巨大なソーラー発電所が出来ていることは知っていましたが、自分の目で見たことはありません。もうこの山に登ることもないので、一度くらい見たくなったのです。それが昨日の写真。もう一度紹介します。

    

パノラマ写真にするとこのような感じです。これでもすべてのパネルを写すことは出来ません。

    

別の角度にカメラを向けるとこのようなことになります。遠くに見えている山は、、、、、、、

    

大峰山です。ご覧のような好天でした。

このような風景を見てから山を下りました。もう行くことのない山頂部の風景です。



    
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野貝原山

2024-01-17 14:50:49 | 日々雑感






相棒が野貝原山に下見に行くというので同行させてもらいました。

5年ぶりの山、楽勝かと思いましたが違いました。

道が荒れ、落ち葉が厚く積もつていて難儀しました。

そのため巨岩めぐりは止めて、ソーラーパネルを見て帰りました。

それにしてもものすごい数のソーラーパネルです。
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