日曜は台風接近のため雨の一日でしたが、午前中はいつも通り、教会に集まった方々と共に礼拝のひととき。
残れるメンバーで、テーブルを囲んで楽しく昼食。
午後は、有志による話し合いと役員会の時間。
午後は話し合いのための集まりですが、毎回学びのための時間も少しずつとっています。
当面、教会や信仰生活に関する本を読む形式にしています。
今は、参加者と『信徒といっしょの牧会』を少しずつ読み進めているところです。
教えられたことを互いに分かち合うことで、牧会の理解を深められたらと願っています。
新たな教会を聖書の教えに基づいて築いていく、大切なプロセスです。
さて、今月も旧約聖書からお話しした説教のあらすじを掲載しておきます。
2017年10月の礼拝説教のあらすじ 旧約講解分:士師記7章
主の命令に従ったことで町の人々には反感を買い、「エルバアル」(6:32)と呼ばれたギデオン。一方、彼の呼びかけに従って集まった兵は、ミデヤン人に抗すべく陣を敷いた(7:1)。諸事情を抱えつつも、主の使命に向かう一人の士師の姿だ。この時点で彼に従う兵は三万二千人。対するミデヤン人は「いなごのように大勢」、らくだは「海辺の砂のように多く」いる(7:12)。ところが、この時、主はギデオンに「一緒にいる兵は『多すぎる』」と告げた(7:2)。その理由も「わたしに向かって誇るといけないから」と明らかにしている。すべては一方的な神の恵みによることなのに、とかく人は己の力で成し遂げたと美化し、自惚れてしまう。神が栄光を受けるべきなのに、人は己を誇る。それで、主の指示による二つの条件で兵をより分け、三百名が残る。主はその三百名でイスラエルに勝利をもたらすと約束した(7:7)。キリスト者にとっては、主とその約束のことばとに信頼してこそ、本当の勝利だ。私たちは何を頼りとしているだろうか。
その日の夜、主は再び語った。わずか三百人を従えるだけとなったギデオンに、ミデヤン人に「攻め下れ」と命じた(7:9)。ところが、主は『もし恐れるなら』とも言い添えた(7:10)。聖書では、「恐れるな」とか「雄々しくあれ、強くあれ」と語られることはあっても、わざわざ「恐れるなら」と語られることは珍しい。このことばで行動したギデオンに関する記事(7:10-15)を、ある注解者は「回り道」と表現している。主による勝利の約束を聞きながら、未だに恐れを抱いていたギデオン。しかし、主は彼のために「回り道」もいとわず、敵兵らの夢に関する雑談(7:13,14)を聞かせ、恐れるギデオンを取り扱われた。主は、恐れに悩む信仰者の回り道にも根気よく付き合い、励ます。この経験で、ギデオンの恐れは確信へと変わり、ひれ伏して主を礼拝した(7:15)。主は、信仰者が信仰によって歩めるようにと根気よく導いておられる。こうした主の姿は、互いの間でも実践され、教会の牧会にも反映されるべきものだ(Ⅰテサロニケ5:14)。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。