このところ忙しかったので、今日の午前中はゆっくり休養しました。
そして、午後から新約釈義の課題、ルカの福音書の小論文に取り組んでいます。
夕食&一息入れてブログを更新。
この後、もうしばらく集中。
さて、月報に掲載した2月の礼拝説教(旧約講解)の要約を載せておきます。
レビ記23章には、主がイスラエルに命じられた例祭について記されている。「聖なる会合」(23:2,3,4,7,8,21,24,27,35,36,37)とも呼ばれる。一年(もしくは一週)というサイクルの中で決まった期日に、主への礼拝のために集まり、祭りを行なうようにと命じている。安息日、過越と種なしパン、七週と初穂、贖罪の日と仮庵の祭りは、神の創造と救いの御業をイスラエルに示すものであって、後世に語り継いでいくためだった(23:43)。私たちはこれらの規定から、『時を刻むことの大切さ』を学ぶことができるだろう。定期的に共に集い、主の救いを心に留めることは、私たちの信仰や人生にとって重要である。
24章前半(24:1-9)には、聖所に毎晩ともしびを絶やさない、そして週毎にパンを供えるという命令。「絶えず」がくり返される。前章を非日常とするなら、この章は日常の命令と考えられないか。祭りという非日常的な時の刻み方と日常的な時の刻み方は異なるが、どちらも大切なものである。私達の信仰生活においても、日常、非日常の過ごし方の有様は違っても、主の救いの中に入れられている現実は変わらない。24章後半(24:10-23)には一つの事件の記録。エジプト人を父に持つ男が主の御名を冒涜した。主は、その処罰に際し、原則を提示し(24:15-22)、公平なさばきを命じた。新しい契約における神の民の聖は、キリストの尊い血による贖いによって確かである。それゆえに、私達は神への感謝と『ふさわしい恐れ』を保ちたい。(1ペテロ1:17-21)
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
おまけに、昨日のユースの夕食の写真も。
ツナキャセロールでした。