礼拝説教のダイジェスト
「現実に向き合う 後編」
聖書箇所 創世記32:13-32
20年の歳月を経て兄エサウと再開しようとしているヤコブ。
しかし、20年前にあった兄との出来事のため、ヤコブは非常な恐れと心配に陥る。
前回取り上げた聖書箇所(32:1-12)では切実な祈りをささげたヤコブ。
改めて兄と会う決意を固めるが、完全に恐れは拭いきれない。
事前に贈り物を贈ることで兄の機嫌をとろうと考えた。
贈り物の手配をし、再会の準備を整えた。
しかし、彼を次の行動へと駆り立てる何かが働いたようだ。
家族や持ち物を先に行かせ、ひとり後に残る。
そこで謎の人物と格闘を繰り広げる。
謎の多い格闘。
聖書はその前後関係を詳細には伝えていない。
この謎の人物について聖書のほかの箇所で「御使い」とされている。(ホセア12:4)
また、二人の会話の内容から謎の人物は「受肉前のキリスト」とも考えられる。
ヤコブ自身は自分の格闘している相手が自分を祝福することのできる存在だという認識があったようだ。
「祝福して下さらねば、去らせません。」とヤコブは相手に食い下がる。
ももを打たれ、足を引きずりながらも必死に格闘する。
その結果、謎の人物から「あなたは神と戦い、人と戦って勝った。」と告げられ、「イスラエル」という別名を授かり、祝福を受けた。
・この格闘の様子は祈りにたとえられることが多い。
窮地に置かれたヤコブの切実さは、まさに祈りの精神に通じる。
現実に向かえばこそ、祈りも真剣勝負。
決して気休めやクリスチャンとしてのマナーの一つだとしては片付けられない。
・1対1のぶつかり合いに表わされる、祈りの本質。
祈りは、自分の力で自分を内側から変えたり、自分を高める自己啓発ではない。
1対1で神様と向き合い、真の祝福は神様からくるという信仰でささげられる。
・祈りを通して、人は変えられていく。
祈りを通して神様の人格に触れ、自分が変えられていく。
これらのことから、私たちの身近に起こる様々な出来事は、私たちをより神様に向かわせるために役立つことを心に留めておきたい。
弱いからこそ、何をどうしたらよいか分からないこそ、主に頼っていく。
主は、私たちを意味もなく窮地に追い込むことはなさらない。
「現実に向き合う」ことを通して、「主と向き合う」ように招かれている。
「現実に向き合う 後編」
聖書箇所 創世記32:13-32
20年の歳月を経て兄エサウと再開しようとしているヤコブ。
しかし、20年前にあった兄との出来事のため、ヤコブは非常な恐れと心配に陥る。
前回取り上げた聖書箇所(32:1-12)では切実な祈りをささげたヤコブ。
改めて兄と会う決意を固めるが、完全に恐れは拭いきれない。
事前に贈り物を贈ることで兄の機嫌をとろうと考えた。
贈り物の手配をし、再会の準備を整えた。
しかし、彼を次の行動へと駆り立てる何かが働いたようだ。
家族や持ち物を先に行かせ、ひとり後に残る。
そこで謎の人物と格闘を繰り広げる。
謎の多い格闘。
聖書はその前後関係を詳細には伝えていない。
この謎の人物について聖書のほかの箇所で「御使い」とされている。(ホセア12:4)
また、二人の会話の内容から謎の人物は「受肉前のキリスト」とも考えられる。
ヤコブ自身は自分の格闘している相手が自分を祝福することのできる存在だという認識があったようだ。
「祝福して下さらねば、去らせません。」とヤコブは相手に食い下がる。
ももを打たれ、足を引きずりながらも必死に格闘する。
その結果、謎の人物から「あなたは神と戦い、人と戦って勝った。」と告げられ、「イスラエル」という別名を授かり、祝福を受けた。
・この格闘の様子は祈りにたとえられることが多い。
窮地に置かれたヤコブの切実さは、まさに祈りの精神に通じる。
現実に向かえばこそ、祈りも真剣勝負。
決して気休めやクリスチャンとしてのマナーの一つだとしては片付けられない。
・1対1のぶつかり合いに表わされる、祈りの本質。
祈りは、自分の力で自分を内側から変えたり、自分を高める自己啓発ではない。
1対1で神様と向き合い、真の祝福は神様からくるという信仰でささげられる。
・祈りを通して、人は変えられていく。
祈りを通して神様の人格に触れ、自分が変えられていく。
これらのことから、私たちの身近に起こる様々な出来事は、私たちをより神様に向かわせるために役立つことを心に留めておきたい。
弱いからこそ、何をどうしたらよいか分からないこそ、主に頼っていく。
主は、私たちを意味もなく窮地に追い込むことはなさらない。
「現実に向き合う」ことを通して、「主と向き合う」ように招かれている。