マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

秋の行事

2015-10-30 00:11:20 | 教会の風景
東村山教会で開かれた、この秋の行事の記録です。
10月10日(土)秋の講演会、11日(日)歓迎礼拝と連日の行事を開催。
昨年に続いて、講師に工藤信夫先生をお招きし、それぞれ、『人生の秋を生きる』、『老いの意味』と題しての講演を伺いました。

参加者の方々の感想からも、有意義な機会になったことが分かり、うれしく思いました。
私自身にとっても、これから先の自分のライフプランを思い描く時になりました。
神様が私に与えてくださる、これからの時間をどのように用いるのか、何を伝え、何を残していくのか、そんなことを思い巡らしたのでした。



両日とも会の後には、お茶の時間を設けて、残れる方々とゆっくりお話をすることもできました。
小さな集いではありますが、こうして語り合える場があることは幸いなことです。







あと、月末になりましたので、旧約聖書の講解説教のあらすじを掲載しておきます。
こちらが9月分で、ヨシュア記1章。
神が信仰者に期待している強さとは何か? 主は、ヨシュアに『強くあれ、雄々しくあれ』とくり返し語り、励ました(1:6,7,9)。そのヨシュアの使命は、民を約束の地へと導き入れることだった(1:6)。それにより真実な神の約束が果たされる。また、ヨシュアには、「すべての律法を守り行え」(1:7)とも命じられた。前指導者モーセの残した律法は、「わたしのしもべモーセがあなたに命じた」と言われ、モーセ個人の思想や教えではなく、主なる神のことばとして、ヨシュアにも注意深く守るよう命じられた。神はみことばをもって私たちにみこころを示している。私たちもみことばに親しみ、聞き従うことにおいて、強くされていきたい。神の励ましのことばを受けながら。
 ヨシュアは、「ヨルダン川を渡れ」(1:2)、「強くあれ雄々しくあれ」(1:6,7,9)という主のことばを受けた後、どうしただろうか。つかさたちを集めて指示を出し(1:10)、『糧食を準備しなさい』と民に伝えさせた(1:11)。これが新たな指導者の第一声の記録だが、主のことばへの信頼に基づいた応答である。それは、「主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地」という説明にも現れている。神のことばは、それを信じる者に行動への力を与える。私たちには、みことばに聞こうとし、従う備えがあるだろうか。

こちらが10月分です。
 ヨシュアとルベン族、ガド族、マナセの半部族の族長たちとのやりとりが記録されている(1:12-18)。これらの部族の戦闘員たちは、他の部族とともにヨルダン川を渡っていかなければならなかった。この箇所では、主が与える地について、『安住の地』と言われている。もともと「定住する」という意味の語だが、神の救いによる安息、休息という含みを持つ。神はイスラエルの民を奴隷より解放し、今や「安住の地(安息の地)」へと導こうとしている。ヨシュアは民にその約束を思い出すようにと命じている。新約聖書では、イエス・キリストによって与えられる神の救いを、ヨシュア記に重ねて、「神の安息に入る約束はまだ残っている」(ヘブル4:1)とし、私たち信者の信仰を励ましている。
 ヨシュアはエリコの町に二人の偵察を送り込んだ(2:1)。彼らは、遊女ラハブの家に身を隠した。新約聖書は、遊女であるラハブが彼らを受け入れ、かくまったことを主への信仰によることとしている(ヘブル11:31,ヤコブ2:25)。確かに、ラハブは彼らとの対話で明確な信仰告白をしている(2:11)。彼女の信仰告白は、主がイスラエルの民のために行った御業を聞いたことから来ている(2:10)。ラハブが、主への信仰ゆえに、偵察の二人に対して『真実を尽くしたように』、彼女とその家族には主からの真実な救いがもたらされる。本来の信仰は、正しく神を知り、心から信じて告白し、そして行動へと結びついていくものだ。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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