テモテⅠ 6:3,4
「違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。」
私たちは、自分の肉体の健康管理には気配りをしている。
でも、私たち信仰者が注意すべきことは他にもある。
この章では、パウロが弟子テモテに信仰生活の健康管理を勧めている。
残念ながら、信仰生活に病気を抱え込む人がいることも事実。
しかも、それはキリスト教会の歴史の初めの頃から変わっていない。
信仰生活の病気の危険、それは常につきまとう。
肉体の健康管理に適度な注意深さが必要なように、信仰生活の健康管理にも日常的な注意深さが必要だ。
いったん信じると信仰を表明したら、後は何をしていても大丈夫というわけではない。
だからこそ、パウロは愛弟子のテモテに次のように勧めている。
「しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。・・・私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。」(6:11,12,14)
聖書の真理に留まること、私たちの内面の敬虔さを求めていくこと、それが私たちの信仰の健康管理。
「違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。」
私たちは、自分の肉体の健康管理には気配りをしている。
でも、私たち信仰者が注意すべきことは他にもある。
この章では、パウロが弟子テモテに信仰生活の健康管理を勧めている。
残念ながら、信仰生活に病気を抱え込む人がいることも事実。
しかも、それはキリスト教会の歴史の初めの頃から変わっていない。
信仰生活の病気の危険、それは常につきまとう。
肉体の健康管理に適度な注意深さが必要なように、信仰生活の健康管理にも日常的な注意深さが必要だ。
いったん信じると信仰を表明したら、後は何をしていても大丈夫というわけではない。
だからこそ、パウロは愛弟子のテモテに次のように勧めている。
「しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。・・・私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。」(6:11,12,14)
聖書の真理に留まること、私たちの内面の敬虔さを求めていくこと、それが私たちの信仰の健康管理。