久々の法話。行ったら、法話の講師は、尼僧さんだった。
見た目35才~40才くらいで、ややふっくらの美人
でもあるし、尼僧らしからぬ人であった。
浄土真宗系の僧侶なので、髪型はぼうずじゃないと
いけないとか、短くなくてはいけないとか、
そういう決まりはない。尼僧さんの髪型は
普通の量の髪を頭の上のほうで結ってあった。
「迷いからの救済」という題目。
この方は、僧侶の会(宗派はまちまち)で
自殺対策をされているという。手紙等でのやりとりを
心の不安定な人とやっていたり、
自殺した人の遺族の人たちとの会を持っているという。
日本で毎年約3万人の人が自殺するそうで、
交通事故死の10倍という。
煩悩を持って生きているから人生が苦しい。
そういう人たちには仏法に出会ってもらいたいと。
煩悩を構成する三毒といわれるものに、怒り、
むさぼり、無明がある。むさぼりについては、
あれもこれもほしい、こうしたいのに思い通りに
ならないといった、足ることを知らない
(十分満足いくところもあるのに、足りていることを
自分でわかっていない)。自分で図ったものさしで
自分勝手に図ってみて、足りていないと不満を持つ。
無明は、真っ暗で光が射していない状態。
(言い換えると、正しく物事を見れていない。
明らかになっていない。という意味だと自分は思う。)
二元化している現象、勝ち組と負け組、優と劣のように、
はかりにかけて自分は生きている価値がないとか
思ってしまう。
(ここから若干、浄土真宗の色がでてくるところだが)
この煩悩を打ち砕いてくれるのが阿弥陀如来が示す
悟りの世界であり、抽象的にいうと、智慧(ちえ)
の光が、煩悩を打ち砕くために、
あたっているというのに気づいているかどうかも
大切。この智慧(ちえ)の光があたっている
ところは、言い換えると「縁」。
実際、この尼僧さんは、もともとは、
お寺にお嫁に嫁いだというだけで、
僧侶になろうというつもりはなかったという。
30歳まで、お経を読んだことがなかったという。
それが嫁いだという縁から、自分も僧侶の道をめざし、
僧侶になって、数多くの人を救っていらっしゃる。
自分が自分を見捨てても、自分を見捨てない仏の
存在を知ることも大切。
今日は1時間15分くらいの法話だったが、
飽きることなく、いいお話が聞けた。