2年ぶりの牛久大仏。この大きさは、はんぱない。
バスで近づくにつれ、大仏が見えはじめたころ、
その異様な大きさに気づく。
ダビンチの画法にもみられるように、遠くに
あるものは、ややかすみが、かかったように見える。
その大仏は、かすみがかかっていて、確かに
遠くにあるのだが、なぜか視界に入っている
そのものは、著しく大きい。
門の前まできたとき、東本願寺派のお寺である
ことを始めて認識した。
本願寺派であることは知っていたが。
(ちなみに築地本願寺は西本願寺派)。
大仏の全身がみえるところまでくると、
遠近感がなくなる。割と離れている距離なのに、
お顔がとても大きくみえる。
そして、もう見上げるところまできてみると、
もう笑うしかない。大きくて。
世の中、一般的に、新しいぶつは、ありがたあられない。
仏像としての価値あるものとは認識されない。
明治以降あたりに作られた国宝級のぶつは、
そんなにないのではないかと思う。
想像するに、あと、200年もたてば、
(期待も含めて)、国宝になっている可能性は
高いのではと思う。
写真は、右足親指の実物大もけい。
爪の高さのところで160cmある。
バスで近づくにつれ、大仏が見えはじめたころ、
その異様な大きさに気づく。
ダビンチの画法にもみられるように、遠くに
あるものは、ややかすみが、かかったように見える。
その大仏は、かすみがかかっていて、確かに
遠くにあるのだが、なぜか視界に入っている
そのものは、著しく大きい。
門の前まできたとき、東本願寺派のお寺である
ことを始めて認識した。
本願寺派であることは知っていたが。
(ちなみに築地本願寺は西本願寺派)。
大仏の全身がみえるところまでくると、
遠近感がなくなる。割と離れている距離なのに、
お顔がとても大きくみえる。
そして、もう見上げるところまできてみると、
もう笑うしかない。大きくて。
世の中、一般的に、新しいぶつは、ありがたあられない。
仏像としての価値あるものとは認識されない。
明治以降あたりに作られた国宝級のぶつは、
そんなにないのではないかと思う。
想像するに、あと、200年もたてば、
(期待も含めて)、国宝になっている可能性は
高いのではと思う。
写真は、右足親指の実物大もけい。
爪の高さのところで160cmある。