「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2012.7/6

2012-07-06 23:21:41 | 仏教
尼僧さんが入ってきた。今日は女性か、・・・
名前は、柳川・・・、ものごしのやさしい声を聞いたら、・・・
思い出した。前にも法話を聞いたことがあった。
東京の麻布のほうのお寺の尼僧。

この方は、自死に対する相談を受け付ける会にも
所属されている。主に手紙による応対で、
4年目、累積4500通にのぼるという。

この会には、宗派を問わず30人が参加して、
3人が1組になって対応しているという。

一時は、手紙の回答として、”あみださんにまるなげ”
(あみださんの功徳)の回答をしたこともあるという。
しかし、相手は信者さんとは限らないし、・・・
というのがあったりで、最初の返信では、
僧侶が返信をしているという雰囲気を出していない文章に
なっているという。

年間3万人ほども自死しているという。

手紙を書いてくる人の多くが、「生きている意味がない」
、「生きている価値がない」と、書いているという。
これは命の答えを持っていないから。

仏教は、救われる宗教ではなく、めざめる宗教といわれる。
ブッタという意味には、めざめたという意味がある。

人は、生まれてから死ぬまで、「私」のものさしで計る。
長生きすればいい人生、短ければよくない。
物事について、意味がある。意味がない。
価値がある。価値がない。
それは、「私」が判断しているだけ。
めざめるというのは、この妄想の世界にいることに
気づくこと。
また、「私」が命の区別のない世界に気づくこと。
 

カールベッカーという京都のほうの大学の教授(仏教者)
がいて、その下にせんごくまりという人がいて、
ハワイでチャクレンをしている。ホスピスのこと。
(日本ではめずらしく聖路加病院にもいるらしい。)


浄土真宗は、命の行く先を教えてくれる。
あみださんは、動物も含めすべての命を、
浄土へ導き、救ってくれる。


幸せの目盛りは、はかりしれないほど大きくなる。
結局、「幸せ」を永遠に満たせない。

仏様のものさしで計ると、
「私」のものさしはどうなのかということが問われる。

「なもあみだぶつ」が、あみださまにとどき、
時期がきたとき、浄土へと向かう。
あらゆる命が平等の世界へ。



その他余談:
大抵、亡くなる場所は病院が多かったりするが、
マンションに住んでいたような人だと
エレベーターにお棺が入らないので、
自分の家には戻れない人もいるという。

コメント
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