「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2015.6球美の里

2015-06-13 23:23:49 | 仏教
講演の題目:沖縄・球美の里

DAYS JAPANという雑誌を発行しているフォト
ジャーナリストの広河氏が講師。

題目のイメージからすると、
沖縄の芸術に関することなのかなあ
という印象だったが、違った。

沖縄の久米島に、球美(くみ)の里という保養施設がある。
(http://www.kuminosato.com/)
ここには、原発被害にあっている福島の子どもたちが
2週間程度、保養におとづれる。
子供の受け入れは、募金で運営されている。

福島の子供たちには、外で遊ぶことは敬遠されている。
しかし、久米島ではまったく問題ない。
福島から来たある子供を、久米島の白い砂浜で遊ばせた
ところ、その子は泣き出した。
うれしくて泣いたのではない。
普段から、外で遊び土に触ることは放射能がつくからと
言い聞かせられていたので、放射能がつくとの不安から
泣いたのだという。

かつて、チェルノブイリ原発事故が1986年発生。
その後3年間は、原発に近づけなかったが、
取材が許され、現地にも入って取材をした。
当時は、講談社の記者。

チェルノブイリ原発事故の後、10年たって、
周辺の子供たちのことについて、アンケートを
とったところ、影響があったか?の問いに
影響があったは90%
鼻血を出す割合も多かった。

鼻血といえば、福島の事故に関連して、
某まんがで鼻血を出すシーンが
あり物議をだしたことがあった。
・・・実際に鼻血を出す可能性が高い。

チェルノブイリ事故後の10年で、
ある地域で、当初は甲状腺がんが1人だったのが、
305人に、消化器系の病気も80倍に
増えた。

福島。心配ない。心配ない。
甲状腺がんがあるが、
福島以外でも同様にある。
福島だけ特別ではない。

そういうことを学者は言ってきたが、
つい数週間前、福島で多発していることを認めた。

学者たちは、研究費用が電力会社から
でているので、正しい報告を出しづらいという
状況にある。

福島は、チェルノブイリとは違う。
心配ない。安心。
それらは、専門家の操作。
テレビを見るひとたちは信じてしまう。

チェルノブイリでは、治療の記録が
保管されている場所が、3回も火事にあった。
(この揉み消しは、ある意味、
 福島に対する専門家の意見と同じ)

汚染の状態を測る要素として、
ベータ線、アルファ線を測るのは
難しい。

日本で、これを測ってくれるところを探した。
ひとつだけ、ある大学が見つかったが、
たかだか水一本を測るのに、20万円かかると
言われた。
(それだけ放射能を細かく測るには壁がある)

チェルノブイリ近くのベラルーシの14才の少女。
(みずらいスライドではあったが写真が表示)
事故から10年後発病した少女。
今なにがしたいと聞かれ、14才の子が、
モルヒネが欲しい。
痛みを忘れる時がほしいという。

(チェルノブイリの事故に関しても
治療に関して、寄付をしていたらしい)

チェルノブイリ事故後3年経って、原発近くの
200mまで接近。同じ機械ではかり、ここでの線量は、
福島では、あちこちで見られる数値。
福島では安全といわれている。
60km離れたベラルーシで、母乳からセシウム。
何百キロ離れたところでも。

福島で採れた魚。名古屋の方まで持って行き、
どこで採れたか言わないで売ったりしている
ということもある。
(ちょっとした告発)

福島で、2年前の検査では何もなかった子どもにも
甲状腺がんが出ている例もある。

ベラルーシで、
原発で影響を受けた子供たち。年2回、
保養施設を利用することができる。
今は年1回。
保養施設を利用することにより
ストレスからも解放され、格段に
症状もよくなる。施設利用のお金は国が支払う。
(その保養所をバックに、100人以上の甲状腺がんの
子供たちの写真のスライドも紹介された。)

ベラルーシのほうが、日本より人の生命を大事にする印象。

日本では2年に1回の検査で十分と言っている。
それがいいわけない。

福島原発事故三日後、安全だからという話で、
ふたば町の人が一時帰宅することになった。

道路を封鎖する権限は無いのではあるが、
戻ろうとする人に声を掛けた。
危険だから、戻らないほうがいいと伝えた。
針が振り切れた線量計を見せた。

その時の振り切れた線量計のスライドも
映されていた。

くみの里には、宮崎はやおさんや、
ミュージシャンの石井さんも関わってくれている。


今回の講師の方は、立て板に水のごとに
つまることなくよく話した。
話が長くなったので、質問のコーナーは
なくなった。

父のほうは奈良のお寺の子だということを言っていた。
自分は、お寺を継ぐ位置にいなかったのかもしれない。

考えさせられる講話だった。
コメント
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