精神科医の香山リカが講師。
テレビでのコメンテーターとしても知られている。
そのためか、けっこうな集客だった。
宗教は、幸せのため・・・。
しかし昨今、人の命を奪い合っているという状況。
今、立教大学の教員もしている。
この大学は、キリスト教系の大学。
実は、この講座のあと、
もうひとつのキリスト教系の大学との合同で、
会合があって、そこで司会的なことをする。
その内容は、昨今、国会で憲法違反と思われる
動きがある。平和について・・・という内容。
かつて戦時中、立教大学でも国策を優先させ、
大学3年生を、もう卒表でいいから、
兵士として、戦地に向かわせていたという
事実があった。
話は現代になり、ある日立教大学のほうに
あるメールが米国人から送られてきた。
その米国人は神父で、立教大学と同じ系列の
キリスト教。
その神父が住んでいる近所にあるおじいさんが
いて、最近がんで亡くなった。
そのおじいさんは、
ある東南アジアの島で、日本軍と戦っていた。
そこで戦利品として、寄せ書きのようなものが
書かれている旗を持ち帰った。
そこには、立教大学、山岳部一同と書かれてあったそう。
それで、その旗の持ち主を探してのメールだったという。
その旗の持ち主は判明。その子供さんは、亡くなっていた。
65才のめいごさんは生きていた。
その旗の返還式が行われ、今は、立教大学の資料館に
展示されているという。
戦時中に、学生を戦場に送り出したことについて、
大学側は反省した。
(ここまでの話は、なかなか興味深いところでは
あったが、本題のここからは、
深いい話はなかった。精神科医をしている
経験から、普段感じていることを話していたが、
一般の人も感じているだろうという内容でも
あったと思う。)
精神科に来る人たちを見ると
お金はあって裕福そうでも幸せになれない。
昨今、インターネットの広まりもあり、
比べるものが増えた。
医療の世界もインターネットの広まりで
選択肢が増えた。迷いもでる。
一昔前の医療では、そのお医者さんに
まかせるということが当たり前。
インフォームドコンセントという
患者の同意書も生まれて来た。
***
一人でいることは失敗。負けているという感覚。
でも一人だからこそできることもある。
***
自分を認めてあげる。・・・大切なこと。
100点ではないけれども、まあ、うまくいって
いると思えばよい。
人は自分にムチ打つことは得意。
成長、発展という面ではよいが,ほどほどに。
自分に暖かい目を向ける。
日常生活で当たり前のようにできていることでも
けがとかすると、当たり前のようにできない。
当たり前のようにできることでも
自分をほめればよい。
自分で自分を嫌いになる。
これほど、ストレスになることはない。
***
科学が進み、より、人が長生きすることが
できるかもしれない。
しかし、以下のような問題も生まれる。
100歳を超えたおばあさん。いたって、健康には
さほど問題は無いが、老人ホームに入ることにした。
それはなぜか。
70歳の娘さんが認知症になったため。
2人そろって、老人ホームのほうへ。
***
その他、感じたこと。
・・・ね。・・・・ね。
とちょっと変わった話し方。
精神科医というところから
そういう話し方になっているのだろうか。
女友達に話をしている風にも感じられた。
精神科医の目からみて、こう思えばよいという
ようなことは、結局、仏教の教えでも言われている
ようなことと似ている。
今回の講話は、新しい発見はあまりないものの、
仏教の教えに通じるものがあると感じた。
テレビでのコメンテーターとしても知られている。
そのためか、けっこうな集客だった。
宗教は、幸せのため・・・。
しかし昨今、人の命を奪い合っているという状況。
今、立教大学の教員もしている。
この大学は、キリスト教系の大学。
実は、この講座のあと、
もうひとつのキリスト教系の大学との合同で、
会合があって、そこで司会的なことをする。
その内容は、昨今、国会で憲法違反と思われる
動きがある。平和について・・・という内容。
かつて戦時中、立教大学でも国策を優先させ、
大学3年生を、もう卒表でいいから、
兵士として、戦地に向かわせていたという
事実があった。
話は現代になり、ある日立教大学のほうに
あるメールが米国人から送られてきた。
その米国人は神父で、立教大学と同じ系列の
キリスト教。
その神父が住んでいる近所にあるおじいさんが
いて、最近がんで亡くなった。
そのおじいさんは、
ある東南アジアの島で、日本軍と戦っていた。
そこで戦利品として、寄せ書きのようなものが
書かれている旗を持ち帰った。
そこには、立教大学、山岳部一同と書かれてあったそう。
それで、その旗の持ち主を探してのメールだったという。
その旗の持ち主は判明。その子供さんは、亡くなっていた。
65才のめいごさんは生きていた。
その旗の返還式が行われ、今は、立教大学の資料館に
展示されているという。
戦時中に、学生を戦場に送り出したことについて、
大学側は反省した。
(ここまでの話は、なかなか興味深いところでは
あったが、本題のここからは、
深いい話はなかった。精神科医をしている
経験から、普段感じていることを話していたが、
一般の人も感じているだろうという内容でも
あったと思う。)
精神科に来る人たちを見ると
お金はあって裕福そうでも幸せになれない。
昨今、インターネットの広まりもあり、
比べるものが増えた。
医療の世界もインターネットの広まりで
選択肢が増えた。迷いもでる。
一昔前の医療では、そのお医者さんに
まかせるということが当たり前。
インフォームドコンセントという
患者の同意書も生まれて来た。
***
一人でいることは失敗。負けているという感覚。
でも一人だからこそできることもある。
***
自分を認めてあげる。・・・大切なこと。
100点ではないけれども、まあ、うまくいって
いると思えばよい。
人は自分にムチ打つことは得意。
成長、発展という面ではよいが,ほどほどに。
自分に暖かい目を向ける。
日常生活で当たり前のようにできていることでも
けがとかすると、当たり前のようにできない。
当たり前のようにできることでも
自分をほめればよい。
自分で自分を嫌いになる。
これほど、ストレスになることはない。
***
科学が進み、より、人が長生きすることが
できるかもしれない。
しかし、以下のような問題も生まれる。
100歳を超えたおばあさん。いたって、健康には
さほど問題は無いが、老人ホームに入ることにした。
それはなぜか。
70歳の娘さんが認知症になったため。
2人そろって、老人ホームのほうへ。
***
その他、感じたこと。
・・・ね。・・・・ね。
とちょっと変わった話し方。
精神科医というところから
そういう話し方になっているのだろうか。
女友達に話をしている風にも感じられた。
精神科医の目からみて、こう思えばよいという
ようなことは、結局、仏教の教えでも言われている
ようなことと似ている。
今回の講話は、新しい発見はあまりないものの、
仏教の教えに通じるものがあると感じた。