「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

埼玉、道教の神社、聖天宮

2008-04-27 22:14:59 | 見仏(埼玉)
畑の中に聖天宮という台湾式の
めずらしい神社があるというのをテレビで見たので、でかけてみた。

見仏という趣旨においては、神社はちょっと違っているのではあるが・・・。
道教ってどんなものを飾っているの?という興味もあった。

ほんとうに、ここがほんとうに日本かと疑ってもいいくらい珍しい建物であった。

道教の神様(見た目は普通の人と変わらない)が、本殿のほうにまつられていた。
その前のほうに仏教の四天王の位置づけと同じ守護神が
4体あり、その中の1体は、こうざんぜ明王か
阿修羅のような顔が三つ手が3組ある像があった。
このあたりは、仏教の影響をうけているなあという印象だった。
このへんは、見仏といえなくもないと思った。

**
門のところにいる門番のような役割(?)の門神。
小さいもので2mほど、大きいもので3mほど。全部で10種類ほど。

以下の写真は、ややかすみがかっているが、
まるでプラモのように、プラスチックのカバーに
覆われているためそう見える。
ユニークでめずらしい。なぜか、お目目ぱっちり。
体が4分の1ほどかべに埋め込まれているという特徴もある。


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マイコレクション、ガネーシャ

2008-04-20 21:56:40 | 仏具コレクション
 中野ブロードウェイのアイスクリームショップの
奥のほうにアジアンな雑貨のお店があり、
そこには、数百円の像から数十万までの像が
売ってあった。像は、おそらくインドあたりからのもので、
インドのヒンズーの像や、一部仏像もあったりする。
 その中から、カラフルなガネーシャの陶器の置物を買った。
ヒンズーなので仏教とは少し離れてはいるのだが。
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法話、世田谷の龍雲寺

2008-04-14 01:00:46 | 仏教
 はじめての臨済宗、妙心寺派(禅宗)の法話。
江戸時代の盤コウ禅師という人の説法をもとに、
神戸のほうのお寺の師が、お話しをした。
100人くらいの聴衆がいたのではないかと思う。

 不生不滅という言葉がある。生じることがなければ
滅することもない。
 
 この言葉より、不生という言葉を強調される。(ちょっと
区別が少ししずらい)
 たとえば、電車に乗っているとき、
ああ電車の音がしていると感じるより、
周りの人の大きな声の話し声が気になる。
あるいは、電車の音、周りの話し声があっても、
本読みに集中していれば、それらは気にならない。
気にすれば気になってしまう。

 不生≒無心≒空。

 ブッタは、瞑想をし悟りを開いた。それと同じように
禅という形で修行すれば、ブッタの悟りに近ずける
心を静める禅をすれば、不生の心が得られる。
(これが禅宗の立場)

 おそらく、盤コウ禅師の法話をもとにしないほうが、
私の知りたい禅の意義は、
より短い時間で理解できるのかもしれないが、
禅というものについて既に理解できている聴衆の
方にとっても、回り道したお話しのほうが
新鮮でいいのかもしれない。

 法話が終わって、質問タイムに入った頃、
左前の席の60くらい?のおばあさんの机を見ると、
配られた盤コウ禅師の法話のコピーに、
今日の法話の師の似顔絵が、とてもうまく書かれている
のに気づき、心の中で笑ってしまった。
似ているというより、うまいという感じで趣味に
されている方か、マンガの経験があったりするのかも
しれない。師の額が、光で反射して、
反射した部分が、長四角に縁取られていて、
マンガ心がありそうな絵だった。
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法話、築地本願寺2008.4/4

2008-04-04 13:19:44 | 仏教
 長野のほうの住職の法話。

 最初に、無明(闇)という言葉を書かれた。
無明は、明らかになっていないこと、
無知だということ。さらに無明の説明として、
疑と根本という言葉をあげた。
 疑は、(これは浄土真宗と特徴だと思うが)、
阿弥陀様のお力に疑いを持つということ。
必ず死んだ後は、阿弥陀様が、極楽浄土に導いてくれる。
 根本は、欲(貪欲)、ねたみ、愚痴といった煩悩をさす。

 闇を説明するのに、長野の善光寺のかいだんめぐりの
話をされた。
かいだんめぐりは、本堂地下のまっくらなところを、
お参りするというもの。
たいて人々は、真っ暗なのに
必死で目をあけて見ようとする。
目をあけてもあけなくても同じ状況なのに、
自分の力にたよっている。
(自力にたよればたよるほど、煩悩が大きくなるということ?
また、阿弥陀様におまかせしておけば、
極楽浄土に導いてくれるということ?)

 煩悩の話しで、面白いお話し。
宝くじ2億あたった人へのインタビューで
あたった本人が失敗した。と言った。
なぜか、連番で買っておけば、
前後賞でさらに1億あたったのにと残念がったこと。
煩悩(欲)を示すおもしろいお話であった。
でも後でよく考えると、ばらで買ったからこそ、
2億あたったのではないかと思ったが。

 その他に、あきらめるという言葉や、
忌という言葉について。あきらめるは、仏教用語で、
物事をあきらかにしてみていく。ということで、
今の一般的な使われ方とは違う。
忌は、己の心はいまわしいと書く。
亡くなった人のことを思い、自分のことも
見つめなおすということではないかということ。
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「東寺の謎」という本、東寺、仏像等について

2008-04-03 22:54:45 | エピソード
東寺の謎という本を今読んでいて、
箇条書きに気になったことを書き留めてみることにした。

・平安京に都が移った頃、お寺があったのは、東寺と西寺
 だけであった
・平安時代、西寺は、雨乞い競争で東寺に負けたことも
 要因で、東寺のほうが繁栄
・空海が中国から持ち帰った仏舎利(釈迦の遺骨)は
 80粒ほどだったが、その後、仏舎利の粒が数千以上に
 増えていた(ありえないことだが)
・東寺の伝統として、仏像の中には、仏舎利が納入
 される傾向があった
・5Mほどの千手観音があったが、昭和初期の火事で、
 損失した
・わが国最初の不動明王は、空海の指示により東寺で 
・大日如来はなぜ装飾具をつけているか
 (如来は普通装飾具をつけないが)
 →人間に近い世界から、法を説くことを示している
・真言密教には、極楽浄土、輪廻転生ということばはない。
 特徴として即身成仏ということばがある
・東寺と言ったり教王護国寺と言ったり
 最初からは東寺という名前で、空海の遺言状に、
 教王護国寺と命名。現在は2つの名前で言われている
・足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉らは、
 東寺を本陣として利用した
・とばつ毘沙門天のとばつは、中央アジアのコータンと
 いう地域の名前だったとか
・弘法大師像(国宝)を作った康勝という仏師が
 空也上人の像も作った
・西寺は990年の原因不明の火事をきっかけに、
 滅んで行った
 都がその後、東側に移って、かろうじて西の端に
 残った東寺は存続。
・一揆が原因で1240年頃、東寺は大火に見舞われた
 農民が東寺に立てこもり、幕府側に対し、
 東寺内に立ち入ったら東寺を燃やすぞと、
 農民がおどしをかけているさなか、火事となり、
 金堂、講堂などかなりが火事で焼失。
 仏像も多数焼失。今ある大日如来、薬師如来等は、
 その後作り直したもの。
・東寺が大火に見舞われた後、東寺は滅亡していても
 おかしくなかったが弘法大師信仰が根強く、
 復興することができた
・江戸時代までは、神仏習合で、神社ですることも
 お寺ですることも僧侶が行っていた
・明治になり、神仏分離令がでて、神社、
 寺は切り離された。神道を天皇と結びつけ、
 国家宗教となり、仏教は古い伝統扱いされた。
 また、仏像もたくさん破壊された。

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「東寺の謎」という本、空海について

2008-04-02 02:03:28 | エピソード
東寺の謎という本を今読んでいて、
箇条書きに気になったことを書き留めてみることにした。
・真言宗第四祖の不空三蔵(中国人)が入滅した
 6月15日に、空海は生まれた。
 そこから、空海は不空の生まれ変わりと言われた
・空海は最初から僧侶になろうとしていなかった
・唐にわたって20年の予定だったが、
 2年ほどで帰ってきたので
 当初、入京をなかなか許されなかった
・空海はなぜ東寺を与えられたか?
 密教ブーム、嵯峨天皇からの信頼、
 空海は当時高野山の開山を計画していて、
 高野山へ行ってしまわないようにという話もあったとか
・空海はいつ弘法大師といわれるようになったか
 →空海入滅後86年後、東寺長者(東寺の責任者?)
 によって命名された
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