「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2013.4.5

2013-04-05 23:39:12 | 仏教
福岡のほうのお寺の住職。

頭のほうを見ると、髪がそられているが、
真宗らしくないと一瞬思った。
よく見るともともと髪が薄そうで、
薄いついでに、髪をそっているという雰囲気に見えた。
40代くらいではあるようではあった。
まあ、容姿などはどうでもよいのだが。


この法話にでている方は、法話にでようと思い、そして、
足を運んだということは、それだけのご縁があるんです。
仏力というものが働いているんです。

真宗の仏典の引用もして、人間に生まれてくることも、
めずらしく、喜ぶべきこと。
そして仏法を聞くことは、与えられる機会が少ないのに
仏法を聞くことができる。ありがたいこと。


相手の話は、すなおに聞くものです。
寒いねぇと言われたら、寒いねえと返すもの。
これを、冬だもの・・・と返してはよろしくない。
仏法を聞くときは、すなおに聞くことが大事。


自分の都合によって、見方が変わってくる。
例えば、法師としてある法話にでたとき、
最初から最後まで寝ていた人をみて、
あまりいい人でない印象を持つ。
その人が、法話が終わった後、おかしをもってきてくれた。
法話は聞いていなかったけど、いい人だと思う。
しかし、家へ帰ってみたら、
そのおかしは賞味期限切れだった。
やっぱり、よからぬ人だと思う。
相手が変わったわけではない。

言い換えると、
自分の判断はほんとうに正しいかどうか怪しい。
自分の判断よりも仏さんの判断にゆだねる。

禅宗では、自力の力で悟ろうとする。
それに対して、浄土真宗は、すなおに受け入れる、
他力の宗教。

自分がかしこいと思っている人よりも
そうでない人のほうが、すなおに仏法を聞くことができる。



ポイントになる点は何度も繰り替えし、説得力のある話を
される方だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする