本日は、三重県のほうのお寺の住職。
頭は白髪だが声は若々しい。肌つやもまだ若そう。
最初、浄土真宗の経典の話で始まったから、
今日も眠くなりそうと思ったが、
先へ進むにつれ、その後、経典の話はなく、
うたたねをすることにならずよかった。
住職のかたわら、35歳のころから、
保護司(ほごし)もしているという。
ほごしとは、犯罪を犯した人を更生させるという役割らしい。
実際に会う前に、経歴を見たりするらしいが、
中には、小さい頃からの経歴を見ただけで、
この人はなんて不幸だろうと、涙がぼろぼろでてしまうような
人もいるらしい。
この住職は、とくど(お坊さんになる)の儀式の会にも
ときどき出られて、お話などをされるという。
11月にするとくどの会は、50歳を超えておぼうさんに
なる人を対象にするという。
なぜに50歳を過ぎて、おぼうさんになりたかったのか?
と聞くと、阿弥陀さんのより近くに、いたい・・・等。
中には刑事をしていて、いろんな犯人を追い詰めたりしたが
犯人と自分の差は、さほど変わらないと感じ・・・、
考えるところがあり、お坊さんになることを決意したという。
ここで、ブータンの話に。
ブータンの国王が数ヶ月前に来日。
先の大震災の被害に合われた地域もめぐられた。
あの合唱されて、人々にあいさつするさまを見て、
住職は、心なごんだという。
(確かに民族衣装を着たその様子は、
世界で一番幸福感のある国の国王らしいかなと思った。)
なぜ、幸福をより感じている国民なのか。
衣食住はある程度満たされている。
それに加え、人間として生まれてきた喜びがある。
(人の魂は生まれ変わっても、また人間になる
とは限らない。動物になったり・・・。
~仏法にもつながる)
そして、目標がある。せっかく人間に生まれてきたのだから、
徳を積んで、もう一度人間に生まれたい。
そして、できればお坊さんになりたい。
(幸せを感じている国民がブータンには多い。
それは、仏教をより実践し、信じている国民が
多いからと思う。このことは、仏教の真髄を示している)
最後のほうに、
こうやって法話を聞きに来ているあなたがたは、
これだけ東京に人がいるのに、貴重だ。
あなた方は、菩薩だ。というようなお世辞的なことも
言っていた。
法話とは関係ないが、頻繁に「たまさか」という言葉を
使っておられたが、ニュアンスはなんとなく伝わったが
後で調べたら、偶然、たまたまという意味のようだ。
関東では、あまり聞かない言葉。