「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2019.1 田畑正久氏

2019-01-26 22:04:25 | 仏教
大分の佐藤第二病院院長、龍谷大学大学院教授でもある。70歳。
講題「医療現場求められる仏教」

今に至る経緯。大分の市民病院に勤務していたとき、
長野の大学のほうで、
講師をしてほしいと頼まれ、片道8時間、5年間通っていた。
その後、京都の龍谷大学で講義を依頼されるようになった。
もともとは、外科医。ある大学の学生時代、仏教青年会に
入った。別に仏教に関心があったわけではなく、
この入会により住居費用がただになるという利点があったから。
その後、とある師に浄土真宗を学んだ。
化学の先生でもあった臨済宗のお弟子さんにも学んだ。

キリスト教や天理教系の病院には、宗教師がいるが、
日本では病院と宗教師は密接な関係はあまりない。
アメリカシカゴの本願寺の別院にいったことがある。
病院に宗教師が出向くことはめずらしいことではない。

現在は、主に大分の国東半島にある病院に主に勤務。
病院内に仏教勉強会を作り、その活動がもう15年になる。
国東半島のこの地は、仏の里と言われている。
しかし、この地でさえ、
お坊さんが病院にくると、まだ、早いと言われる。

龍谷大学では、90分x30日分の講義を持っている。

病気の人は、健康になりたいと思う。

大腸ガンの患者さん。治療により、もう大腸ガンのリスクは
無くなったと医者から言われた。しかし、それから2年後、
肝臓のほうに転移した。黄疸の症状も出ていた。
結果的に、その後、7年で亡くなった。
医療には限界がある。良くなる病気は良くしていく。
しかし、、、、。

あるとき、同級生からメールをもらう。すい臓がんの
ステージ4と言われ、余命半年と言われた。ショック。

これ以上良くならないときは、どうすればよいか。
「悟り」、あるいは、真宗でいうところの「信心」の結果として、
自分の現実を受容することができる。受け止めることができる。

ある先輩が自分の講義を聞きに来てくれたことがある。
そして言ってくれた。
人間の病気の苦しみを取るのに、医療しかないと思っていたが、
違っていた。

誰もがいつかは、老病死につかまる。
アリストテレスは言っている。みんな幸せになりたいと思っている。
プラスを増やし、マイナスを減らしていく。
しかし、幸せを目指しても、最後にはマイナス、不幸の完成。
事実はそうなっている。

大分のローカル新聞に投稿された記事。60過ぎの人が投稿。
40代の知人がガン。頑張れと励ます。がんばってますよと返される。
痛みがつらい、死にたくない。
頑張ってるよねと、言ったほうがよい。

また別の人の投稿について、胃ガンの50代の男性。
ステージ4。
あまり動けない患者。家族に連れられ、
6ヶ所ほどの病院を転々。そのうち、骨転移の痛みがでてきた。
病院側はステージ4をえさにいろんな治療を行う。患者はすがりたい。
そういう状態を続ければ、患者は死ぬまで苦しむ。
緩和ケアをしていく手段も考えたほうがよい。

人間の思考には二種類あると、今は亡くなった宗教師のいっていたこと。
計算的思考と、全体的思考。計算的思考は、プラスを増やし、
マイナスを減らす。損か得か。勝ちか負けか。
全体的思考は、因果応報を認め、縁起を考える。私という存在は生かされている。
死は生の裏表。死は生きている事実を教えてくれる。

70歳と歳をとってきて、頸椎に問題があり、手が少ししびれることがある。
この現実は、私に何を気ずかせようとしているか考えてみる。
毎日を生ききる人は、死に対する心配はない。
生かされているという思いがある。

現実を受容できた例。
岩手県沢内村。
50代のガン患者がつらいとうったえ、落ち込んでいた。
同じ患者のおばあさんが歩み寄り、念仏をすすめる。
すると、笑顔が出てきた。

徐々に、臨床宗教師の活躍も増えてきた。

死が近ずいて来た時、医者とコミュニケーションを
よくとったほうがよい。緩和ケアをしてくれる病院も
探したほうがよい。


最後に
数年前にも、この先生の話を、この場で聞いたことがある。
その時も有意義な話を聞けたと記憶している。
本日は、なかなかよいお話だった。

コメント
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