お題:未来をひらく仏教の使命
上田紀行という人の講話。
割とがっちりしていて、なかなか体格がよい。55才。
ちょっと関西言葉がでていて、標準語に直したりもしていた。
紫色のYシャツを着ていたのが印象的。
東京工業大学の教授で、20年、続けている。
肩書きは、文化人類学者。
仏教的、文系的発想とはにつかわない工業大学で
教べんをとっている意義というのは、次のようなこと。
東京工業大学受験には、理系の科目さえ勉強すればよいので
どうしても考え方がかたよってしまう恐れがある。
それをおぎなうべく、仏教的、文系的な思想が必要なのだという。
この同じ大学には、今、テレビでも有名な池上あきらも
教授をしている。2年目くらい。
癒しという言葉は、かつて、なかったらしい。
上田紀行を評して、癒しの上田といわれたことから、
癒しという言葉が流行してきた。
(癒すという動詞はもとから、あったらしいのだが)
この講話に乗じて、本の販売もしていた。
その本についての話もまじえての講話。
「生きる意味」
1日に4万人の子供が命を落としているという状況も
ありながら、一方で、お金さえもうければいいのか、
・・・。
この本から、受験の国語で、引用されることが多いらしく、
引用された数が、去年(?)NO.1という。
本日の本の販売では、売り切れがでたようだった。
自分よりも身近な人が有名と言っていた。
いとこに、落語家のしゅんぷうてい小朝。
奥さんが、NHKアナウンサーの武内とうこ(48)。
武内とうこが、かつて朝の7時の番組を担当していたとき、
夜中2時起床、夕方6時帰宅という不規則な生活時間を
送り、癒しの上田が、いやされない(笑)ということも
あった。
「がんばれ仏教」
仏教は生きているか。
上田紀行が、ここで、聴衆に挙手で、
アンケートをとった。
これから言うことにいい印象を持っていれば
手をあげてください。
仏教→まあ多かったようだ。
日本の仏教→半分くらい減ったらしい。
日本のおぼうさん→約1割程度だったらしい。
日本のおぼうさんは、ほんとうに困った人を
救おうとしているのか。
法話を聞いても、ネガティブなことを
言って、もう少し楽しげな仏教の話であったほうが
よいのではないか・・・。
「ダライラマとの対話」
ダライラマとの対談で感じたのは、
仏教は、時代とともに変わっていてよいのではないか。
諸行無常といわれる通り、仏教も例外でない。
時代にあった仏教があってよいのではないか。
「肩の荷をおろして生きる」
日本には敗戦が3つある。
1つ目は、第二次世界大戦。
2つ目は、バブル崩壊。
3つ目は、2005年当時の安心と信頼が失われた時期。
これは、つまり小泉総理の政策、思想。
小泉総理の、人間は使い捨て的な発言。
この発言は、小泉チルドレンに対してだけでなく、結果、
正規雇用、非正規雇用の問題を生んだ。
東工大の講義の生徒に聞いた。
人は使い捨てか?→半分が使い捨てと手をあげた。
自分が定年になるときには、この数を改善したい。
「今ここに生きる仏教」
とある二十歳の女性の話。
生きる気力がなくなり、家出をして、夜中さまよった。
お寺が目に入った。お寺は閉まっているが、
助けを求めるために、
お寺の呼び鈴をならそうかと迷った。
しかし、今まで自分がみてきたお寺の印象から・・・、
呼び鈴を押しても、こんな夜中になんですか?といわれそう。
門徒でもないのに何の用?といわれそう。
あきらめて、再びさまよい、とある教会が目に留まった。
教会の扉は開いた。人はいないが。
無人の教会で一夜を過ごした。一晩過ごして、なんとなく
彼女の気持ちは回復した。
それは、支えがあることを感じたから。
今度また、困ったことがあれば、この教会にくれば
よい・・・と楽になった。
教会というところは、いつでも人を受け入れるという
スタンスから、かぎはしめてないところがあるらしい。
この支えは、このケースではキリスト教だったのだが、
浄土真宗の他力に近いものがある。
その支えとはアミダさん。
たとえば、東京の街中で、こんなにたくさん人がいるが、
自分を気遣ってくれる人はいない。
ふっと、声をかけてくれる人がいたとする。
それが他力の教えのようなもの。
支えになってくれる人→アミダさん。
少し、自分の生い立ちについて。
山の手の百坪(?)ほどの家に生まれた。裕福。
父も母も遊び人で、浪費。
父は、2歳のときに失踪。母と貧しい生活。
母は、演劇もしていたが、食べれないから会社員などに。
母は、父の遺伝子を引き継いでいるようなところも感じていた。
高校生のころ、もう母親とは生活したくないと、母に告げた。
まあ、でもいっしょに生活はしばらく続けた。
その後、家族解散的に、母はニューヨークに移り住んだ。
自分はというと、八方ふさがり、カウンセリングも受けた。
悩みを話し合うサークルにも入った。
そのサークルには、有名な神社の子供もいた。
その中の一人がインドに旅。
人が変わったようになって戻ってきた。
それを見ていた他の人も、自分達もインドへ・・・。
よいご縁を感じた人は、そのご縁を広める役割がある。
おっそわけすべし。それがなくて、大乗仏教とは言えない。
ご縁というのは、負のものもある。
(負であってもご縁はご縁)
ダライラマが、アメリカでの大学での講演で、
とある学生に質問された。
あなたは、故郷チベットが抑圧されている状況があるけど、
楽しそうに見える。なぜか?
→チベット仏教が抑圧されている状況があるからこそ、
私は各国のいろんな人に会うことができる。
そして、チベット仏教を世界に広められるチャンス。
このチャンスに恵まれたことは・・・。
最後に、この講話を聴いて・・・・。
仏教を広める直接の役割を担う仏教者の人たち。
その仏の教えを、おっそわけしている自分の役割もあるんだ。
少し貢献できているのかなと思えた。
我ながら、このブログの意義をあらためて、感じ取れた。
そして、こんな風に、仏教者以外の人が
仏教がんばれと激励するということは、
大いに、仏教の発展に寄与できるだろうし、
ありがあたいことだ。
仏教者のあり方も変わってくるはず。
その分、より多くの人が救われることになるだろう。
上田紀行という人の講話。
割とがっちりしていて、なかなか体格がよい。55才。
ちょっと関西言葉がでていて、標準語に直したりもしていた。
紫色のYシャツを着ていたのが印象的。
東京工業大学の教授で、20年、続けている。
肩書きは、文化人類学者。
仏教的、文系的発想とはにつかわない工業大学で
教べんをとっている意義というのは、次のようなこと。
東京工業大学受験には、理系の科目さえ勉強すればよいので
どうしても考え方がかたよってしまう恐れがある。
それをおぎなうべく、仏教的、文系的な思想が必要なのだという。
この同じ大学には、今、テレビでも有名な池上あきらも
教授をしている。2年目くらい。
癒しという言葉は、かつて、なかったらしい。
上田紀行を評して、癒しの上田といわれたことから、
癒しという言葉が流行してきた。
(癒すという動詞はもとから、あったらしいのだが)
この講話に乗じて、本の販売もしていた。
その本についての話もまじえての講話。
「生きる意味」
1日に4万人の子供が命を落としているという状況も
ありながら、一方で、お金さえもうければいいのか、
・・・。
この本から、受験の国語で、引用されることが多いらしく、
引用された数が、去年(?)NO.1という。
本日の本の販売では、売り切れがでたようだった。
自分よりも身近な人が有名と言っていた。
いとこに、落語家のしゅんぷうてい小朝。
奥さんが、NHKアナウンサーの武内とうこ(48)。
武内とうこが、かつて朝の7時の番組を担当していたとき、
夜中2時起床、夕方6時帰宅という不規則な生活時間を
送り、癒しの上田が、いやされない(笑)ということも
あった。
「がんばれ仏教」
仏教は生きているか。
上田紀行が、ここで、聴衆に挙手で、
アンケートをとった。
これから言うことにいい印象を持っていれば
手をあげてください。
仏教→まあ多かったようだ。
日本の仏教→半分くらい減ったらしい。
日本のおぼうさん→約1割程度だったらしい。
日本のおぼうさんは、ほんとうに困った人を
救おうとしているのか。
法話を聞いても、ネガティブなことを
言って、もう少し楽しげな仏教の話であったほうが
よいのではないか・・・。
「ダライラマとの対話」
ダライラマとの対談で感じたのは、
仏教は、時代とともに変わっていてよいのではないか。
諸行無常といわれる通り、仏教も例外でない。
時代にあった仏教があってよいのではないか。
「肩の荷をおろして生きる」
日本には敗戦が3つある。
1つ目は、第二次世界大戦。
2つ目は、バブル崩壊。
3つ目は、2005年当時の安心と信頼が失われた時期。
これは、つまり小泉総理の政策、思想。
小泉総理の、人間は使い捨て的な発言。
この発言は、小泉チルドレンに対してだけでなく、結果、
正規雇用、非正規雇用の問題を生んだ。
東工大の講義の生徒に聞いた。
人は使い捨てか?→半分が使い捨てと手をあげた。
自分が定年になるときには、この数を改善したい。
「今ここに生きる仏教」
とある二十歳の女性の話。
生きる気力がなくなり、家出をして、夜中さまよった。
お寺が目に入った。お寺は閉まっているが、
助けを求めるために、
お寺の呼び鈴をならそうかと迷った。
しかし、今まで自分がみてきたお寺の印象から・・・、
呼び鈴を押しても、こんな夜中になんですか?といわれそう。
門徒でもないのに何の用?といわれそう。
あきらめて、再びさまよい、とある教会が目に留まった。
教会の扉は開いた。人はいないが。
無人の教会で一夜を過ごした。一晩過ごして、なんとなく
彼女の気持ちは回復した。
それは、支えがあることを感じたから。
今度また、困ったことがあれば、この教会にくれば
よい・・・と楽になった。
教会というところは、いつでも人を受け入れるという
スタンスから、かぎはしめてないところがあるらしい。
この支えは、このケースではキリスト教だったのだが、
浄土真宗の他力に近いものがある。
その支えとはアミダさん。
たとえば、東京の街中で、こんなにたくさん人がいるが、
自分を気遣ってくれる人はいない。
ふっと、声をかけてくれる人がいたとする。
それが他力の教えのようなもの。
支えになってくれる人→アミダさん。
少し、自分の生い立ちについて。
山の手の百坪(?)ほどの家に生まれた。裕福。
父も母も遊び人で、浪費。
父は、2歳のときに失踪。母と貧しい生活。
母は、演劇もしていたが、食べれないから会社員などに。
母は、父の遺伝子を引き継いでいるようなところも感じていた。
高校生のころ、もう母親とは生活したくないと、母に告げた。
まあ、でもいっしょに生活はしばらく続けた。
その後、家族解散的に、母はニューヨークに移り住んだ。
自分はというと、八方ふさがり、カウンセリングも受けた。
悩みを話し合うサークルにも入った。
そのサークルには、有名な神社の子供もいた。
その中の一人がインドに旅。
人が変わったようになって戻ってきた。
それを見ていた他の人も、自分達もインドへ・・・。
よいご縁を感じた人は、そのご縁を広める役割がある。
おっそわけすべし。それがなくて、大乗仏教とは言えない。
ご縁というのは、負のものもある。
(負であってもご縁はご縁)
ダライラマが、アメリカでの大学での講演で、
とある学生に質問された。
あなたは、故郷チベットが抑圧されている状況があるけど、
楽しそうに見える。なぜか?
→チベット仏教が抑圧されている状況があるからこそ、
私は各国のいろんな人に会うことができる。
そして、チベット仏教を世界に広められるチャンス。
このチャンスに恵まれたことは・・・。
最後に、この講話を聴いて・・・・。
仏教を広める直接の役割を担う仏教者の人たち。
その仏の教えを、おっそわけしている自分の役割もあるんだ。
少し貢献できているのかなと思えた。
我ながら、このブログの意義をあらためて、感じ取れた。
そして、こんな風に、仏教者以外の人が
仏教がんばれと激励するということは、
大いに、仏教の発展に寄与できるだろうし、
ありがあたいことだ。
仏教者のあり方も変わってくるはず。
その分、より多くの人が救われることになるだろう。