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(平和祈念像 原爆資料館パンフより転載)
長崎、くんち、軍艦島、市内観光と楽しみいっぱいの旅でしたが、長崎と言えば、キリシタン殉教、原爆被害と
悲劇の歴史を負った街でもあります。
今回の旅行コースにはこれら施設の見学などの予定は全く入っていなかったのですが、バスでの移動中には
ガイドさんから、これらに関連した話は都度多くありました。
それと、2日目の昼食は原爆投下地区の食堂で取って、その後自由時間が1時間ほどあり、原爆資料館も近くでした。
原爆と言えば、高校の修学旅行で広島を訪れて、平和記念公園の資料館で原爆被害の惨状を見学したのは強い印象が
残っていますが、それは戦争、原爆に対するものというより、惨状そのものに対する嫌悪感でした。
そんなこともあって、長崎の原爆資料館も正直出来れば遠慮したいと思っていて、一緒に入った今回の旅行で唯一
40代の若い男性も、資料室内には入らず帰ったのですが、私は半分以上暇つぶしのつもりで、資料室にも入って
見学してきました。
結果、さすがに年齢を重ねて、高校時代とは違った印象で、惨状そのものに対する嫌悪感というより、戦争、原爆の
悲惨さを感じ、こういった施設の意義・重要性を認識し、平和への祈りを一層強くして見学を終えました。
平和ボケの代表みたいな生活を日々続けていますが、こういった刺激は時々必要なようです。
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写真右上:原爆資料館全景、左上:原爆資料館入口
左下:車窓より、如己堂(Webサイト)
左下中:車窓より、浦上天主堂 まさに雨にしめった讃美歌の・・・ です。
右下:原爆被害で残った浦上天主堂の惨状(パンフより転載)
浦上天主堂は雨に煙っていましたが、この日の午前は池島炭鉱へのバス移動があって、外海(そとめ)地区に向かいましたが、
この外海地区は隠れキリシタンの里でもあります。
こちらも、下車見学はありませんでしたが、明治に入って、キリスト教が解禁されてからフランス人宣教師によって建てられた
2つの教会を車窓より見ることが出来ました。
写真は撮れませんでしたので、外海地区の観光パンフからご紹介です。(ご参考:ド・ロ神父(Webサイト))
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ということで、長々お付き合いいただいた方には、厚く御礼申し上げます。これで、長崎旅一応全部をご紹介出来ました。
もっとも、長崎くんちは、全町内について整理してご報告しますとしていますので、こちらはまた時間をいただき整理したいと
思います。その時は再度お付き合いください。