hiroべの気まま部屋

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川崎大師・境内碑蹟めぐり:大本坊エリア1

2020-03-14 08:23:23 | 寺社・神社巡り

(川崎大師・大本坊)




 『今朝の天気』


(8:00頃)

 今朝の温度(6:30) 室温 リビング:19.5、 洗面所:21.0、 湿度(リビング):21%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:18.7、最低気温: 6.8
  本日の予想気温 最高気温:13、最低気温: 4)



 昨日はMyGardenのヒヤシンスで小休止でしたが、川崎大師の碑蹟めぐりの続きです。今日からは「大本坊エリア①~⑨)です。
 本坊ということですから、社務所ということでしょうか。その大本坊の前に9つの碑蹟があります。
 

 
 ①植木供養之碑
 
 少し難しい話になりますが、「真言密教における本尊大日如来は、万物を生み出し、万物を肯定する大地的な法身仏であり、大日如来は三つの形でみずからを表わす。ことば(語)、身体(身)、心(意)である。山も花も鳥もそして人間もすべてのものが、ことばと身と心をもつ。すべてのものが永遠不滅なる大日如来のあらわれである。」というわけです。したがって、植物も大日如来のあらわれ(化身)ということで、供養の対象となるわけです。「古代よりよろづ枯死せし樹乃精を御山に集い皆で弔ふ」の歌が刻まれている(建碑は昭和51年、神奈川県造園業組合川崎支部)、ということです。

 ②六世綱大夫の碑
 
 六世竹本綱大夫(つなたゆう、天保11年(1840年) - 明治16年(1883年)9月24日)は、義太夫節の太夫で本名は斎藤太市、江戸生まれ、明治9年(1876年)六代目綱大夫襲名、ということです。碑の建立は明治16年、辞世の句「ものいはで 立出でるなり 秋のくれ」が刻まれた碑石であり、題字は八世其角堂によるものということですが、なぜ川崎大師に立てられたかは?です。

 ③浅間大神碑
 
 木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)を祀る浅間神社の碑で、大正8年(1919)大師富士登山会が結成されて、その2年後、大正10年(1921)に建碑されたもの、ということです。


 本日はここまで、次回は(④~⑥)のご紹介の予定です。



 (本日コメント欄お休みをいただいております。)