(川崎大師碑蹟めぐり:経蔵エリア3⑦弘法大師一千御忌供養塔)
『今朝の天気』
(8:00頃)
今朝の温度(6:30) 室温 リビング:19.5、 洗面所:21.5、 湿度(リビング):19%
(昨日の外気温 東京、最高気温:14.0、最低気温: 8.6
本日の予想気温 最高気温:12、最低気温: 6)
川崎大師の碑蹟めぐり、経蔵エリアの続き(⑥~⑦)です。
⑥戦災復興之碑
第二次世界大戦後の復興を祈願して、昭和49年(1974)に建碑されたものです。
⑦弘法大師一千御忌供養塔
(冒頭の写真)
天保5年(1834)は弘法大師の丁度一千年の御遠忌にあたり、それを記念して建碑(文政3年〈1820〉)されたもの。発願主は米山松寿という人で、天保5年は旧本堂の建てられた年でもあり、この時の第35世隆盛法印は、米山松寿の意に添って13年も前に作善させた、ということです。
⑧道標(こうぼう大し江のみち)
(写真を撮り忘れました。)
川崎宿下手の六郷川(多摩川)寄り入口付近に建てられた川崎大師への道標ということです。次の機会に写してご紹介したいと思います。
以上で、川崎大師・境内碑蹟めぐり:経蔵エリアの終了です。同時に、碑蹟めぐりの今回のご紹介の最後です。
大師の碑蹟めぐりはまだ「鶴の池エリア」と「八角五重塔エリア」の2か所が残っています。今回ご紹介のエリアでも2か所の碑蹟の写真の撮り忘れもあります。2か所のエリアと合わせて、おそらく来年になると思いますが、次の機会にご紹介したいと思います。
川崎大師・境内碑蹟めぐりに長らくお付き合いいただきありがとうございました。