これまでイラクについて書いてきたが、シリアで気になることが起きたので、それについて書く。
<トルコの方針転換>
7月24日、トルコの戦闘機が、シリアにあるISISの基地と武器集積所を爆撃した。トルコがISISを攻撃するのは、初めてである。2014年の8月以後のISISに対する空爆に、トルコは参加していない。2015年初頭、シリアに地上軍を派遣してくれ、と米国が要請したが、トルコは断った。「シリア北部に飛行禁止区域を設定するなら、地上軍を出してもよい」と条件を出した。
飛行禁止区域の設定は、シリアの領空権を奪うことである。シリア政府軍は北部の反政府軍を空爆できなくなる。アサド政権は空爆に頼っており、北部が米国とトルコの領空になれば、北部の戦いは反政府軍の勝利となる。
<代理人に戦わせたトルコ>
トルコはアサド政権打倒を第一の目的としてきた。にもかかわらず、自国が直接アサド政府との戦いに巻き込まれることを注意深く避けてきた。そして、アサド政権と戦う反政府軍を全面的に支援した。自分は戦わず、代理人に戦わせる策略に徹した。
<国境を超えたトルコ>
7月24日シリア内のISISを爆撃したことは、トルコが作戦を大きく変えたということである。トルコはシリア北部に飛行禁止区域を設定することを米国に要請した。米政府は、飛行禁止区域の設定を決めていないとしているが、「 ISIS不在地帯をつくる」軍事行動計画について、トルコ政府と合意した。
トルコはシリア北部をトルコ領として分割することを決意したのかもしれない。
<方針転換の原因>
これまでISISに対し寛容だったトルコが、考えを改め、ISISを敵として認識するようになった原因は、トルコ内で起きた2つのテロ事件である。人が多く集まっていた場所での自爆テロにより、多数の死傷者が出た。3日後、別の場所で小さな軍事衝突が起き、トルコの国境警備兵がISISによって銃撃された。トルコ軍兵一人が死亡し、二人が負傷した。
<スルチでの自爆テロ>
7月20日、トルコで爆弾テロが起き、30名が死亡した。負傷者が100名近くおり、その中にはひん死の状態の者もいる。シリアとの国境に近いスルチという町で、集会があり、参加者が犠牲となった。大学生が中心となって構成する団体が、コバニの再建支援のための集会を開いていた。トルコのダウトオール首相は、自爆による攻撃の可能性が高いとの見方を示した。また、現地紙は自爆犯は18歳の女だと報じた。
<コバニの戦いを支えたスルチ>
スルチから国境を越えてシリアに入ると、コバニである。2014年の後半、コバニは内戦中のシリアで、最大の激戦地となった。メディアの関心もコバニに集中した。
2014年の6月以降、ISISはイラク北部を制圧し、イラクとシリアの国境を消滅させた。勢いに乗ったISISは、9月16日、コバニの攻略に取り掛かった。ISISは戦闘に習熟している。イラクで武器を獲得している。コバニのクルド人は風前の灯となった。しかしコバニはクルド人の土地である。祖国を守るという意思は強く、持ちこたえた。クルドの女性も戦闘に参加し、世界の注目が集まった。
<コバニを攻撃した理由>
ISISがコバニを攻撃した理由は明瞭である。ISISの首都ラッカから近い。ISISはラッカを不動の拠点とすることに成功し、シリアとイラクにまたがる支配地を獲得した。ラッカからトルコまでは、比較的近い。ISISはトルコとの連絡のために、国境地帯を確保したい。しかし国境地帯はクルドの土地である。
シリアの民族分布
(地図)the atlantic
(地図の説明)クルド人の居住地が黒茶色の斜線で示されている。
2013年、ISISはアサドに対する戦いの友軍という顔をして、タラビヤドに乗り込んだ。タラビヤドはクルド人が多数住む町であるが、アラブ人・トルクメン人が混在している。そのため、ISISは入りやすかった。クルドの土地にISISが入ることは難しい。
クルド人は「自由シリア軍」とは別の立場で、反アサド闘争をおこなっていた。
タラビヤドはラッカに最も近い国境の町である。トルコからラッカへの入り口を獲得したことはタラビヤドにとって大きな意味があった。しかしISISはシリア北部に勢力があるにもかかわらず、国境地帯はわずかしか支配できていない。
ISISは国境の町をもう少し獲得したい。トルコとの交通は生命線である。武器と志願兵が入ってくる。タラビヤドの次ISISが狙いを定めたのが西隣のコバニだった。(最初の地図参照)
<トルコからラッカへの入り口=アクチャカレ >
タラビヤドがラッカに近いこと、トルコからの入り口で思い出されるのは、後藤健二さんである。
2015年1月27日、ISISは後藤健二さん解放の条件を変えた。ヨルダンで死刑囚となっている仲間の女性の解放を要求した。サジダ死刑囚と後藤さんの交換の場所はアクチャカレだ、とISISが指定した。国境を隔て、トルコ側がアクチャカレであり、シリア側がタラビヤドである。
(地図)VOA
話題が変わってしまうが、後藤さんの事件後しばらくして知った事をここで書いておく。
富士テレビは、後藤健二さんがアクチャカレに向かったと報じた。富士テレビの現地案内人がこの情報を得たらしい。この現地案内人は日本人女性であるが、数日後トラックと衝突して死亡した。
ISISのラッカ長官の補佐官が、「湯川遥菜は処刑するが、後藤を殺すつもりはない」と語っていたという。西谷文和氏の知人のシリア人が、ラッカ長官から聞いたという。以上の2つの情報は、後藤さんが解放に向かっていたことを示唆する。サジダが獄を出て、イラクに向かった、とヨルダンの新聞が報じた。サジダはアクチャカレに行かずとも、ISISに渡せばよい。
後藤さんとサジダ死刑囚との交換が決まり、事が進んでいたが、カサスベ中尉の解放を要求する声がヨルダン世論にわきあがり、急きょ取りやめとなった。
タラビヤドとコバニはラッカに近く、ISISにとって重要である。今回自爆テロが起きたスルチの位置を再び示す。スルチとアクチャカレを赤色で示した。
<ISISがトルコ軍兵士を殺害>
スルチでの自爆テロの3日後の7月23日、キリス付近の国境で、5人の武装テロリストがトルコ軍の前哨基地に発砲し、下士官1人を殺害、2人の兵を負傷させた。トルコ軍が応戦し、ISISの戦闘員1人が死亡した。続いてトルコ軍は戦車4台を出動させた。
(写真) aljazeera
武力衝突が起きた場所キリスはアレッポの北にあり、アレッポの反政府軍にとって重要な基地がある。(地図参照)
<トルコの真の意図>
トルコは慎重な姿勢を捨て、「シリア北部にISIS不在地帯をつくる」ことを決定した。トルコは今まで裏で操っていたが、今度は自ら乗り込んできた。シリア内戦に国家が直接参入した。すでにシリアはこれ以上悪くはならない悲惨な状態なので、どうでもいいことかもしれないが、各戦闘集団の力関係を分析せずにはいられない。平和への道は遠い。
<ISISが突然トルコの敵になった?>
ISISがトルコを攻撃した2つの事件について書いた。事実はそうであるが、ISISはトルコの敵だろうか?
これまでトルコはアサド政権を第一の敵とし、第二の敵はクルドとしてきた。
トルコ政府は次のように公言している。
「米国がISISを空爆することは、アサドとクルドに幸運をもたらしている」。
トルコはISISに対する空爆を苦々しく思っていた。トルコの友を攻撃し、トルコの敵を利していたからである。
<トルコの真の敵はクルド>
何故クルド人がトルコの生来の敵なのか、まず地図を見ていただきたい。
クルド人の居住地
クルド人は広い地域に分布している。クルドは、国家を持たない最大の民族と言われる。人口は2500万~3000万人である。国連加盟国には人口数百万の小国が多数あり、3000万人の人口を擁する国家は堂々たる中規模国家である。クルドが「少数民族」と呼ばれることは不自然な感じがする。国家成立の秘密が何であるか、を物語る。
分割されたクルドの居住地
第1次世界大戦後、1920年のセーブル条約で、トルコのクルド人はトルコ・イラク・シリアの3つに分断された。セーブル条約とは、第一次大戦の勝者である英・仏・露の連合国と、敗者となったトルコとの講和条約である。英・仏は自分たちの利益に従ってトルコを分割した。
分割直後から、トルコ・イラク・シリアのクルド人はそれぞれの国に対して独立運動をおこなってきた。大戦終結後、民族自決が講和の理念となっており、クルドの独立も実際に議題になり、いったん独立が決まった。しかしトルコのケマル・パシャの圧力により、クルド国家の形成は取り消された。クルド人は自分達だけが除外されたことに憤慨した。
トルコからの独立を願うクルド人は、長年独立闘争をつづけてきが、2013年にトルコ政府と停戦協定を結んだ。しかしクルド人は決して独立をあきらめていない。
<国家形成へ向かうシリアのクルド人>
現在、シリア北部のクルドは小さな独立国になろうとしている。コバニでISISに勝利したからである。アサド政権は弱体化しており、イドリブを失った今、アレッポ奪回の可能性は消えた。
小さなクルドの独立国がシリアにできるのを見たなら、トルコのクルド人たちは、自分達も独立しようという気持ちになり、独立闘争闘争を再開するだろう。
イラクのクルド人はすでに大幅な自治権を獲得しており、情勢次第では完全に独立する。
3分割された2つの地域が独立へ近づいており、とり残されたトルコのクルド人は、独立への願望をかきたてられている。これはトルコにとって悪夢である。
3つの地域の中で、トルコのクルド人とシリアのクルド人は民族が同一なだけでなく、部族も同じである。トルコからの独立闘争を長年おこなってきたクルド人政党(PKK)と、シリアのクルド人政党(PYD)は互いに兄弟のような関係にある。はPKKのオジャラン党首は、シリアのクルド人からも尊敬されており、彼の肖像画を家に飾っている。
<PKK(トルコのクルド政党)の独立計画>
兄政党のPKKが弟政党のPYDに独立をけしかけている、とトルコは見ている。まずシリアのクルド人に国家をつくらせる。その小独立国を作戦基地にして、PKKはトルコと戦い、独立を勝ち取ろう、という計画である。
トルコは東部の重要な、広い地域を失うことになる。とんでもない話である。シリアで悪さをしているISISはトルコに害を与えない。スルチとキリスの事件は例外的であり、不可解な感じもする。
クルドは一貫して危険な敵である。万一でも、トルコのクルド人が独立するかもしれない、と考えることは、トルコにとって恐怖である。
トルコが方針を一変した原因は、クルドの独立が現実的になってきたからではないだろうか。
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