6月15日、クルド人部隊がタラビヤドのISISに勝利した。
タラビヤドはラッカに近く、ISISの重要拠点だった。タラビヤドはトルコからラッカへの入り口であり、ここから武器と外国からの志願兵が流れ込んだ。また密輸の石油を輸出した。タラビヤドからラッカまでの距離は85kmである。
(地図) AFP
6月15日、YPG(クルド人部隊)が、タラビヤドのISISに勝利した。米国がISISを空爆し、YPGを支援した。現在YPGは米国にとって最も信頼できる地上軍になっている。
(写真)Reuters
タラビヤドを失うことは、ラッカのISISにとって大打撃となる。米国は、ISISの首都ラッカの攻略を真剣に考えており、タラビヤド攻撃はそのための布石である。
今年の初め、米国は地上軍を出してでも、春までにモスルを奪回するつもりでいた。イラクのモスルとシリアのラッカはISISの2大拠点である。しかしモスルの話はうやむやになってしまった。ラッカを攻略すれば、その埋め合わせになる。
<クルド、支配地域を結合>
2014年2月
2015年5月
(地図)wikipedia
ラッカを標的とする米国の作戦のおかげで、YPGはコバニとタラビヤドとハサカの3地域を結ぶことに成功した。クルドはシリア内戦を、思わぬ方向に持っていくかもしれない。
トルコのエルドアン大統領は、これに脅威を感じた。「クルド人はシリア北部に独立国をつくろうととしている」。
ISISの支配地は西のアレッポまで至るが、トルコとの国境地帯をクルドが支配している。ISISはトルコと隔てられた。
<5月、ハサカ州での勝利>
5月初旬以来の戦いで、クルド人部隊はハサカ州の広い地域をISISから奪い取った。米国は空爆によってクルド人を支援した。ISISの首都ラッカ攻略をめざす米国にとって、地上軍が必要であり、クルド軍(YPG)を同盟相手とした。
<ハサカからスルクへ>
(地図)UPI
6月になって、YPGはハサカから西に進んだ。タラビヤドに至るためである。寄せ集めのアラブ人部隊も加わった。6月12日、YPGはスルク周辺でISISを打ち破り、18の村を解放した。YPGはISISの装甲車2台と弾薬を積んだトラックを破壊した、とYPGの報道官が述べている。戦いで9名のISISが死亡した。YPG側は2名死亡した。スルクはタラビヤドから20㎞南東にある町である。
町の周囲で激しい戦闘が続いており、スルクの町に攻め入ることができない、とYPGの指揮官が述べている。
YPGの報道官がロイターに戦況を伝えた。「ISISの戦闘員の多くが逃げ出したが、町の中に自爆攻撃兵が残っており、仕掛け爆弾が仕掛けられている。我々は町の中心部に入ることに、慎重になっている」。
スルクの入り口
自爆攻撃兵は少人数なので、無理に戦うまでもない。時間をかけて、決心を動揺させればよい。YPGはスルクを包囲したまま、様子を見ることにした。YPGは包囲を維持するための人数をスルクに残し、主要目標であるタラビヤドに向かった。
<タラビヤドでの戦闘>
スルクでの戦闘では、自由シリア軍と地元の部族軍が、YPGと肩を並べ、最前線で戦った.自由シリア軍の部隊名は「リワ・タフリー」・「ラッカ反乱旅団」・「サナディド軍」である。
タラビヤド攻撃には、これらの部隊は参加していない。代わってブルカン・フラトというアラブ人部隊が参加している。ブルカン・フラトはタラビヤドでの勝利後、自由シリア軍の旗を掲げた。
(写真) Lefteis Pitarakis
ブルカン・フラトは少人数であり、主力はあくまでYPGである。コバニとハサカのYPGが援軍を送り、YPGは増強されている。
6月14日 、タラビヤドのISISはの大部分が退却した。橋を2つ爆破して、あわてて退却した。残っているのは150名で、援軍が来なければ、彼らも退却するという。
YPGは町を包囲した。
タラビヤド 東側入り口
(写真) Reuters
6月15日、YPGは南東の地区を制圧してから町の中に侵入し、西に進んだ。
前日の夜から当日の明け方まで、米軍と有志連合が5回以上ISISを空爆した。明るい時間帯にも空爆している。米国はタラビヤドでの勝利を重視しているからである。
トルコのエルドアン大統領は、アラブ人とトルクメン人を空爆しているとして、欧米を批判した。「クルド人テロリストは欧米の支援を受け、ISISが去った後の空白を埋めている」。
国境検問所付近の戦いで、YPGが勝利した。ISIS数十名がトルコ軍に降伏した。トルコ軍は逃げて来るISISを逮捕し、外国人ISISだけどこかへ連れて行った。地元のISISは国境検問所の近くの建物にとじ込めた。国境のトルコ側はアクチャカレである。
町に侵入したその日、YPGは町を制圧した。6月15日である。
(写真)busines insider
2万3千人が難民となった。彼らはアクチャカレの検問所に向かった。
(写真)daily mail
クルド・アラブ連合軍が勝利したので、避難民の多くがすぐ帰ることができた。一時避難にすぎなかった。しかしトルクメン人とアラブ人は帰って来れなかった、という話がある。「YPGはトルクメン人とアラブ人を追放した」とトルクメン人の指導者が訴えている。
ISISに協力した一部のトルクメン人・アラブ人が追放されただけか、YPGが組織的に民族浄化を行ったのか、わからない。
タラビヤドと周辺の村々は、クルド人が多数であるが、トルクメン人とアラブ人が混在している。
トルクメン人の武装組織は、自由シリア軍と共闘し、クルド軍から距離を置いている。
最後に、ISISが笑いながら行った所業を付け加える。
住民がいなくなり、ISISだけになると空爆しやすい。ISISは、検問所付近に集まっている人々を追い返した。
(参考)
貼り付け元 <http://www.reuters.com/article/2015/06/13/us-mideast-crisis-syria-idUSKBN0OT0F120150613>
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