今回はひさしぶりに日曜美術館をお届けします。
『 片岡球子 輝く個性の秘密 スケッチは語る』です。

今も人気を誇る日本画家片岡球子(1905~2008)は鮮やかな色彩、デフォルメされた構図など、個性的な絵画で知られています。

中でも大胆な富士山の作品は有名ですが、 60代からの「面構(つらがまえ)シリーズ は、足利尊氏や葛飾北斎など、歴史上の人物をあたかも目の前にいるように描いた異色の傑作とされています。
生誕110年の今年、片岡球子展が開催されている愛知県美術館

「面構(つらがまえ)」シリーズ
歴史上の人物を今に甦えらせることに挑戦した作品で、球子の名前を不動のものにした傑作です。

「面構 足利尊氏」1966
室町幕府初代将軍をユーモラスに表現しています。

「面構 足利義政」1966
八代将軍義政、愛嬌のある表情が面白い

「面構 足利義光」1966

1905年札幌に生まれた片岡球子は18歳で上京、東京の女子美術学校で日本画を学びます。
「枇杷」1930 25歳の作品
伝統的な日本画で細部まで写しとる作風です。
この作品は院展で初入選します。

その後球子は小学校教師をしながら絵の勉強を続けます。
しかし、自分なりの表現を見つけられずにいます。

「学ぶ学校」1933
花鳥風月を離れ、教室の子供たちを題材にした作品
教師と絵描きの両立は難しく、展覧会では落選をしつづけます。

そんななか、教え子のスケッチに没頭します。


「飼育」1954 球子49歳
鶏の世話をする教え子たちの絵です。
子供たちの個性をいきいきと表現しようとスケッチを重ねた末の傑作です。

「歌舞伎南蛮寺門前所見」1954
球子のその後の画家人生を決定づける作品。
登場人物は三人、舞妓、舞妓に恋する男、キリスト教に改宗する僧侶の設定です。
安土桃山時代の始まる頃、当時のキリスト教の教会、南蛮寺の門前で繰り広げられる歌舞伎の物語です。鮮烈な色彩が印象的です。

1962年、球子57歳で初めてヨーロッパに渡り、パリの美術館で目を奪われます。
そこで大きな影響を受けたのが、スペインの画家ジョアン・ミロです。
「アルルカンの謝肉祭」
シンプルな色とかたちで人や動物を描き、生命感溢れる作品を作り出しています。

「夜明けの目覚め(連作星座より)」

「山(富士山)」1964
球子の代表作のひとつが誕生します。
印象的な山肌に接着剤を用いたと考えられています。

そして 球子61歳の時、生涯のテーマを見つけます。
日本の歴史を築いた人物を描くことです。
京都の等持院で足利尊氏木像をスケッチします。


そして完成したのが、「面構 足利尊氏」1966 です。

「面構 葛飾北斎」1971
北斎と赤富士、実に面白い構図です。

「面構 国貞改め三代豊国」1976
役者絵や美人画で知られる歌川豊国が絵を描こうとしている様子です。

「面構 東洲斎写楽」1971

「面構 歌川国貞と四世鶴屋南北」1982

絵画は最終的に作家の内面がどう見る側に影響を与えるかです。
勿論、絵画の基礎的力量がベースになくてはなりません。
片岡球子の作品は好き嫌いが分かれるかもしれないですが、私は好きです。