京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

アオバズク  羅漢石像60~64画像

2019-07-01 17:41:13 | 野鳥


雛に会えるかと思ったのですが、だめでした。

アオバズク






















どこにいるかわかりますか。




















愛宕念仏寺の羅漢石像 60~64画像

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左の石像は何でしょう。
真ん中の像と一緒にいるのはフクロウでしょうか。









京都の町 上京区鞍馬口寺町通り界隈   閑臥庵、上御霊神社、唐板水田玉雲堂

2019-07-01 05:56:31 | 京都の町 町屋・建造物


今回の散策は上京区の鞍馬口通りと寺町通りが交わるエリアの散策です。

鞍馬口通り(烏丸鞍馬口を東に歩く)

閑臥庵

宇治の萬福寺を開山したのは中国人の隠元禅師です。
萬福寺は中国式の伽藍が特徴ですが、同じ黄檗宗の禅寺の閑臥庵も中国式の門です。





ここは江戸時代前期には後水尾法皇の実弟である梶井常修院の宮の院邸でした。
王城鎮護の為に貴船の奥の院から鎮宅霊符神をこの地に歓請し、初代隠元禅師から六代目の黄檗山萬福寺管長千呆禅師を招いて1671年に開山しました。 
御所の祈願所として法皇自ら「閑臥庵」と命名し、御宸筆の額を寄せて勅号としました。
法皇は春に、秋に、和歌を詠んで庭を愛でたといわれ、
 秋の句:開けぬとて 野辺より山に入る鹿の あとふきおくる 萩のした風
など、御宸翰その他が今も伝えられています。
宇治の萬福寺同様、普茶料理を出す寺院として知られています。






閑臥庵に祀られている北辰鎮宅霊符神
十千十二支九星を司る総守護神であり、陰陽道最高の神とされています。
 




中国五百羅漢像が30体ほどあります。
これも嵐山羅漢像同様のようです。





鞍馬口通りを東に歩きます。
まっすぐ行くと鴨川です。















鞍馬口の寺町通りを南に下がります。

天寧寺

額縁絵は相変わらず美しい。










桔梗





紫陽花





明智光秀公報恩塔があります。
この寺院との関係は何かあるのでしょうか。










観音堂





寺町通りから上御霊神社に向かいます。

上御霊神社





駒札





応仁の乱勃発地










神社の向かいに京町屋風の店舗があります。
最近建ったようですが、墓石のお店です。















唐板の暖簾の店舗は水田玉雲堂です。
創業年は文明9年1477年、応仁の乱が終わった年です。
創業542年、唐板という焼菓子だけを売っています。
上御霊神社の祭神の一柱、吉備真備(きびのまきび)は遣唐使であり、日本に帰るときに、唐から持ち帰ったお菓子だということです。
863年京では疫病が流行、それを鎮めるため天皇が神泉苑で御霊会を行い、その時、疫病よけとして「唐板煎餅」が神前に供えられました。
それが応仁の乱後、上御霊神社の境内で茶店を出し、厄病よけの煎餅として販売されるようになりました。
現在も茶道の三千家はじめ、地元の人の贈答用、家庭用として親しまれているそうです。










町屋の棟続きでしたが、現在はわずかに面影を残しているだけです。





この付近は江戸時代中期を代表する画家、尾形光琳の元住居跡です。





天寧寺を下がって、相国寺の東門の近くに「甲子役 戊辰役 薩藩戦死者墓」があります。
甲子役は1864年の禁門の変、戊辰役は鳥羽伏見の戦いの戦死者の墓です。