京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

祇園祭 屏風祭

2019-07-24 05:32:51 | 2019 祇園祭


祇園祭は別名屏風祭と呼ばれています。
山鉾町の商家を中心に所有する屏風を一般の方に公開しています。
山鉾とはまた違う風情があり、宵山を盛り上げてくれます。

山本仁商店 : 室町通蛸薬師上ル(鯉山)

曽我物語図屏風
日本三代仇討ちに数えられる「曽我兄弟仇討」を題材にした『曽我兄弟』を描いた屏風です。
主人公曽我兄弟十郎祐成と五郎時致の若い兄弟の短く悲劇的な生涯が人々の共感を呼び、中世成立以来近世を通じて広く愛好され親しまれてきた説話文学。
右隻は建久四年(1193)源頼朝が開いた富士の巻狩りの場面





右隻 富士巻狩り






左隻 夜討ち






大日(株)三条通り新町下ル(八幡山)










奥井商店 : 三条通新町下ル(八幡山)















無名舎(吉田家)新町通六角下ル(北観音山)




































二階の絨毯















井ノ口家 : 新町通六角下ル(北観音山)










篠田商事(株)










藤井絞(株)新町通六角下ル(北観音山)





源平合戦





南観音山










祇園祭 舞妓さん夏の舞

2019-07-23 06:31:02 | 2019 祇園祭


22、23日の宵山は京都芸術センターで午後5時から『エコ屋台村』が開催されています。
京都市主催のリユース食器を用いた『もったいない屋台』です。















22日オープニングで宮川町の舞妓さんが夏の舞を踊りました。
動画ではないですが、踊りの雰囲気を皆様にも味わってもらいたいと思います。





















































踊り終えました。





花火柄のだらり帯





国立博物館のマスコット トラりんも来ました。





当日は夕方強い雨も降り、会場のグランドは水浸しです。





鯉山会所





「B.B」という文字が発見されたことで、現在のベルギー・ブリュッセルで1580年から1620年頃製作されたことが判明しました。
タペストリーは鯉山の周囲を飾るように大工のノミで裁断され、見送り等6つの懸装品に仕立てられています。
国の重要文化財に指定(昭和25年) 図案はトロイ戦争の1場面









鷹山の神体
右 犬遣い
中央 樽負い 樽を背負い手にちまき持つ
左 中納言行平 左手に鷹、右手に餌飼を持つ









ホトトギス、カリガネソウ、キヌガサダケ、キノコ

2019-07-22 21:15:09 | 2019 花


ホトトギス(杜鵑草)
もう咲きはじめました。通常は秋の花で9月以降開花します。
日本の特産種で主に太平洋側に自生する多年草です。
日陰のやや湿った斜面や崖、岩場に見られ、葉のわきに、直径2~3cmで紫色の斑点のある花を1~3輪上向きに咲かせます。





















カリガネソウ(雁草)
シソ科に分類される多年草ので、カケソウ(帆掛草)とも呼ばれまあう。
和名は花の形状が雁に似ている草であることに由来します。
開花は8月~9月です。










キヌガサダケ
前日雨がよく降ったせいでしょうか。顔を出しました。
これで今年最後のようです。















さまざまなキノコが目に付くようになりました。





赤いのは毒キノコでしょうか。





大賀蓮





舞妃蓮










花托にシオカラトンボ




祇園祭後祭宵々々山

2019-07-22 08:31:50 | 2019 祇園祭


昨晩は祇園祭後祭の宵々々山でした。
黄昏れに山鉾町をぶらり散策してきました。

橋弁慶山
五条の橋の上で争う牛若丸と弁慶の姿が特徴的山です。

























鯉山
山の中で唯一、人物でなく、魚をテーマにしたユニークな山です。
竜門の滝をのぼる鯉は竜になるという『登竜門』の故事に由来し、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様が表されています。
鯉は左甚五郎作といわれています。
















浄妙山
橋弁慶山に似て、アクロバティックな人形の姿が特徴の山です。









黒主山
謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人、大伴黒主が桜を眺めるさまをテーマにしています。
杖をつき、白髪の髷(まげ)の翁の人形は、風格たっぷり、山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になります。














役行者山
修験道の開祖・役行者一言主神を使って葛城山と大峰の間に石橋をかけたという逸話に由来しています。
役行者は庶民の中に入って医療などにつとめた僧で、古くから民衆に人気がありました。
役行者と鬼の顔の一言主神、葛城女神の三体の人形を御神体としており、人形の数が多いため山のサイズも最大のものとなっています。


































鈴鹿山
鈴鹿山は旧東海道の難所・鈴鹿峠です。
ここで人々を苦しめる鬼を退治した鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説に由来します。















鷹山
応仁の乱以前より巡行していたとされる由緒ある山鉾です。
文政9(1826)年の巡行で大雨に遭い懸装品を傷めたため翌年以降巡行は休み山となっています。
2022年の巡行での本格復帰を目指し、今年から八坂神社の祭神の名をしたためた掛軸を唐櫃に収めて巡行に参加します。










八幡山
「はちまんさん」とも呼ばれるています。石清水八幡宮が祀られている山です。
八幡神のシンボルは2羽の鳩です。










北観音山
応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年交代で山を出していたといわれています。
通称は「上り観音」、御神体は楊柳観音像と韋駄天立像です。


























南観音山
「下り観音」とも呼ばれ、かつては後の祭の殿をつとめていました。
御神体は北観音山と同じく楊柳観音像と善財童子像です。







































大船鉾
占出山や船鉾と同じく『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来します。
船鉾が「出陣」を表すのに対し、大船鉾は戦を終えて戻る「凱旋」の場面を表しています。
応仁の乱以前から存在する歴史の古い鉾です。
近づけば身動きが取れなくなるので、離れて撮影。











今日は宵々山、明日宵山で、明後日24日水曜日が巡行です。



向日葵いろいろ、アザレアツバキ、タマガサノキ、ホウズキ

2019-07-21 21:40:56 | 2019 花


向日葵の開花品種が増えています。

ロシア
人の背丈より高い向日葵。





コンチキン





バレンタイン





モネのヒマワリ





テデイベア





ソラヤ





品種不明










アネモネトメントサ










アザレアツバキ
原産地中国











タマガサノキ(アメリカタニワタリノキ)










ホウズキ





タリクトリム・デラバイ










北観音山、南観音山、大船鉾曳き初め

2019-07-21 08:51:29 | 2019 祇園祭


昨日は祇園祭後祭山鉾建ての三日目、午後3時から曳き初めです。
私は曳き初めの少し前に山鉾町にきました。

大船鉾

ほぼ飾り付けは最終段階、あとは曳き初めを待つばかりです。









南観音山

最後の飾り付け真っ最中です。




















北観音山

飾り付け最終段階です。

























午後3時、大船鉾、南観音山、北観音山が同時に曳き初めです。
どちらも道幅の狭い新町通りでの曳き初めになります。
私は今回北観音山の近くで曳き初め撮影します。

北観音山曳き初め

音頭取りの「エンヤラヤー」の掛け声に合わせ山が動きだしました。





目の前を曳き手が通っていきます。
曳き手の先頭は地元の幼稚園児です。






















すぐに南観音山がやってきましt。








































大船鉾

会所に帰ってくるところでした。















無名舎の屏風飾り















藤井絞(株)






最後の一枚
お願いして撮影させてもらいました。
祇園祭は人も犬も浴衣が似合います。










紅筋ヤマユリ、サクユリ、オウゴンオニユリ、コオニユリ、オニユリ、ヤマユリ

2019-07-20 22:22:11 | 2019 花

ユリが見頃です。

紅筋ヤマユリ
ヤマユリは日本特産の百合で、大輪の花を咲かせます。
基本種の花色は白地に黄色いスジ模様が入りますが、こちらは紅紫色の筋模様が入る変異種です。





















サクユリ
伊豆諸島に自生する伊豆諸島に固有のユリで、ヤマユリの変種です。
伊豆諸島では源為朝を偲んでタメトモユリとも呼ばれています。
世界最大のユリです。






















オウゴンオニユリ
長崎県の対馬のみに自生するオニユリの黄花変種です。
草丈は1m~2mほどに成長し、7~8月頃に黄色に赤褐色の斑点が入った花を下向きに多数咲かせます。










コオニユリ
北海道と沖縄以外の日本で育ち、国内に自生するユリの中ではもっとも広範囲で見られるユリです。
生育環境も海岸から山地までと幅広いですが、山の草原や低地の湿原によく見られます。















オニユリ
北海道から九州まで山で見かけるユリで、花は下を向き、花びらは反り返り、花びらには斑点があります。
コオニユリとオニユリの違いはムカゴです。オニユリにはありますが、コオニユリにはありません。




















ヤマユリ
本州の平地から山地に分布し、日陰がちの斜面や、明るい林、草原に見られる球根植物です。
7月から8月に、強い香りのある、花径20cm強の大きな花を1~10輪ほど咲かせます。
花弁には白地に黄色い帯状の筋が入り、えんじ色か紫褐色の細かい斑点が散ります。
















山鉾建て二日目の山鉾町 本日曳き初め大船鉾、北観音山、南観音山鉾、鯉山

2019-07-20 06:47:02 | 2019 祇園祭


昨日は祇園祭後祭山鉾建ての二日目でした
台風と梅雨前線の影響でしょうか、ほぼ一日雨が降り続いていました。
雨が弱まった昼すぎの山鉾町散策です。
なお今日20日午後3時には大船鉾、南観音山、北観音山が、午後4時には八幡山の曳き初めが行われます。

大船鉾
躯体の組立は最後に近いようで、屋根に取りかかっていました。
20日懸装品を飾り付け、午後3時には曳き初めが行われます。















南観音山
20日午後3時から曳き初めです。














真松の木がトラックで運ばれています。



































北観音山
ここも本日午後には曳き初めです。









真松の削り










屏風飾り





源平合戦 鵯越の坂落とし





源平合戦 屋島の戦い





鯉山
ここも20日午後4時が曳き初めです。














残りも21日には山鉾建てが終わります。
7月21日(日):宵々々山
7月22日(月):宵々山
7月23日(火):宵山
7月24日(水):後祭の山鉾巡行
前祭の宵山と違い、露店は出ません。また四条通りや烏丸通りの交通規制は行われません。







夏の花 レンゲショウマ、スズカケソウ、シマジタムラソウ、ハマボウ、カリガネソウ

2019-07-19 18:05:10 | 2019 花


夏の花がつぎつぎ開花しています。

レンゲショウマ
日本固有の1属1種の植物で、東北地方南部から近畿地方にかけて分布します。
深山のやや湿った林床に多く見られ、やや薄暗い林に大群落をつくっていることもあります。
シャンデリアのように咲く姿は、夏の花の風物詩としてマスコミなどでも毎年取り上げられています。
国内はもとより海外でもとても高い人気を博しています。















スズカケソウ
非常にめずらしい山野草で、絶滅が危惧される花です。
青色の花で、花のつき方が「鈴懸け(山伏が衣装の上に羽織る衣)」に似ているので名付けられた。















シマジタムラソウ(島路田村草)
シソ科アキギリ属の多年草。東海地方の固有種で環境省の絶滅危惧II類(VU)に分類されています。
7〜9月頃、茎の先端付近にアキノタムラソウに似た淡青紫色の花を穂状につけます。










ハマボウ
関東以西の本州・四国・九州に分布し、韓国にも分布する落葉低木の花です。
7月から8月にかけ黄色の美しい花を咲かせる。中心部は暗赤色です。










カリガネソウ














キンミズヒキ





ヤマシャク





ヤマコンニャク





ヤブカンゾウ





オトギリソウ





桔梗










ヒオウギ








祇園祭後祭の山鉾建て初日 

2019-07-19 05:46:43 | 2019 祇園祭


17日祇園祭前祭の巡行が終わったばかりですが、昨日から後祭の山鉾建てがはじまりました。
祇園祭に前祭と後祭があるのがまだご存知ない方もまだおられますので、少し説明します。

山鉾巡行は町の邪気や穢れを山鉾で清め、八坂神社の神様が通る道を作るために行うものです。
17日前祭では八坂神社から神様の乗った神輿を四条通りの御旅所へお迎えし、24日後祭では逆に八坂神社にお神輿を帰す「神輿渡御」が行われます。これにあわせて、神輿が出る前にそれぞれ山鉾を巡行するのです。
以上のように元々は前祭と後祭に分かれていたのですが、1966年~2013年までは山鉾巡行は17日にまとめて行われていました。
理由は観光上の理由や警備や交通規制の理由があったようですが、本来の2度に分けて行うかたちに戻そうという動きが高まり、2014年からは元々のやり方に戻ったのです。

前祭は23基の山鉾が巡行しましたが、後祭は10基です。
加えて現在「休み山」の鷹山が2022年の巡行復帰を目指し、八坂神社の掛け軸を唐櫃に収めた「唐櫃巡行」を今年から行うことになりました。
鷹山の最後の巡行は江戸時代1826年です。

私は昨日昼すぎに山鉾町にでかけ、山鉾建て初日の山鉾町歩いてきました。


大船鉾
「蛤御門の変」(1864)の大火で懸装品の多くを焼失、以来150年「休み鉾」になっていましたが、平成26年復帰しました。






















鷹山のTシャツを着た方が見学しています。





南観音山









北観音山は本日からのようです。
山鉾が建つ新町通りは、上質な京町屋がまだ残っています。
通りには高張り提灯が立ち並び、祭の雰囲気を盛り上げています。









格子と町家の軒先の壁に寄せて折りたたむことができる「ばったり床几」もあちこちで見られます。





吉田家(無名舎)の二階も開けられました。





ここが北観音山の会所で、この前に山が建ちます。





このあたりは江戸時代三井両替店がありました。





八幡山
会所の中で山建てが行われていました。









この町内の商家は玄関幕が多く取り付けられています。















旧川崎家住宅(紫織庵)京都市有形文化財
上質な町屋が公開されていましたが、昨年休館しました。






室町通りの誉田家源兵衛店
「祇園会無病息災と誉田家源兵衛281年を慶ぶ 281匹の鯉たちが時空を舞う」










鯉山の会所






京都芸術センターで後祭の宵山に「エコ屋台村」が開催されます。
初日舞妓さんも来ます。










商家ではヒオウギを生け花にする風習が残っています。





四条通りでは月鉾の解体中でした。
本来は17日の巡行の後直ちに解体してしまうものですが、残ってしまったようです。










ブータンのユリ、コオニユリ、オウゴンオニユリ、サクユリ、ウケユリ、紅筋ヤマユリ、ヤマユリ

2019-07-18 18:23:02 | 2019 花


ブータンのユリ
リリウム ネパレンセ 原産地ブータン










コオニユリ
北海道と沖縄以外の日本で育ち、国内に自生するユリの中ではもっとも広範囲で見られるユリです。
生育環境も海岸から山地までと幅広いですが、山の草原や低地の湿原によく見られます。













オウゴンオニユリ
長崎県の対馬のみに自生するオニユリの黄花変種です。
草丈は1m~2mほどに成長し、7~8月頃に黄色に赤褐色の斑点が入った花を下向きに多数咲かせます。





サクユリ
伊豆諸島に自生する伊豆諸島固有のユリで、ヤマユリの変種です。
伊豆諸島では源為朝を偲んでタメトモユリとも呼ばれています。
世界最大のユリです。









純白の幻のユリ、ウケユリ
鹿児島県・奄美大島の標高が高い岩場にしか自生しない「幻の純白のユリ」と言われています。
環境省のレッドリストで絶滅の恐れが最も高い「絶滅危惧1A類」に指定されています。





紅筋ヤマユリ
ヤマユリは日本特産の百合で、大輪の花を咲かせます。
基本種の花色は白地に黄色いスジ模様が入りますが、こちらは紅紫色の筋模様が入る変異種です。




















ヤマユリ
本州の平地から山地に分布し、日陰がちの斜面や、明るい林、草原に見られる球根植物です。
7月から8月に、強い香りのある、花径20cm強の大きな花を1~10輪ほど咲かせます。
花弁には白地に黄色い帯状の筋が入り、えんじ色か紫褐色の細かい斑点が散ります。











桔梗










レンゲショウマ、キレンゲショウマ
もう少しで開花しそうです。















祇園祭前祭山鉾巡行 Ⅱ 本日より後祭山鉾建てはじまる。

2019-07-18 06:43:47 | 2019 祇園祭


昨日の祇園祭前祭巡行の続きです。
前祭巡行は23基です。

鶏鉾
鶏鉾は中国・尭の時代は天下がよく治まり、訴訟を求める際に叩く太鼓が用無しとなり、その太鼓に鶏が巣をつくったという史話『諫鼓』に由来しています。
雄鳥で飾った天冠は非常に豪華で、大人びた顔立ちの稚児人形はとても印象的です。
前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されています。
見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。
この見送は、6世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されています。























白楽天山
唐の詩人・白楽天と道林禅師が問答している場面を現している白楽天山。
前掛けは16世紀にベルギーで制作されたトロイ城の陥落が描かれたタペストリー、胴掛けには18世紀にフランスで制作された『女狩人』が使用されています。
白楽天は高名な詩人で有能な官僚であることから、悪疫除けと学業成就のお守りが授与されます。










四条傘鉾
応仁の乱以前の古い山鉾の形態を持つ四条傘鉾は、明治4(1871)年以降長く途絶えていましたが、昭和60(1985)年に114年の時を経て再興されました。傘の上に赤幣と若松が飾られているのが特徴で、この傘の下に入ると厄よけのご利益になるといわれています。山鉾巡行では、地元小学生16名が棒振り踊りを披露します。














孟宗山
呉の国の孟宗が病気の母が欲しがる筍を雪の中から奇跡的に掘りあてたという中国の故事から、別名「筍山」とも呼ばれています。
ご神体は左手に鍬、右手に筍を持ち、喜んで筍を持ち帰っていく姿が表現されています。
こちらでは、親孝行の護符が授与されます。









月鉾
鉾頭に「三日月」をつけていることから「月鉾」と呼ばれ、山鉾の中で最も背が高く、さらに重量も12トンを超える最も重い鉾。
真木の中ほどの天王座には、夜と水徳の神であった月読尊がまつられています。
装飾が細部にいたるまで素晴らしく、天井の帖扇面散図など、その絢爛豪華さから動く美術館と讃えられています。
























山伏山
昔、八坂の法観寺の塔が傾いた際に法力によって戻したり、亡くなった父を祈祷によって蘇らせるなど、数々の言い伝えが残されている浄蔵貴所をご神体としています。
ご神体が山伏の姿をしていることから、「山伏山」と呼ばれています。













占出山
神功皇后が海外出兵の際に「肥後国松浦川で鮎を釣って戦勝の吉凶を占った」という故事に由来する「占出山」。
別名「鮎釣山」ともいわれています。
ご神体に神功皇后をまつられ、出兵中に懐妊していた神功皇后は、凱旋後、無事に出産したことから、安産の神として昔から知られ、会所では安産祈願のお守りや腹帯の授与されています。
占出山の巡行順番が早いと、その年のお産は安産だといわれています。









霰天神山
永正年間(1504~1520年)に京都で大火が起き、霰(あられ)が降り、たちまちにして火が消化しました。
霰と一緒に一寸二分(約3.6cm)の天神像が降ってきて、その像をおまつりしたことが「霰天神山」のはじまりとされています。
別名「火除天神」ともいわれ、火除けの神様として信仰を集めています。





放下鉾
街角で芸をしながら説法をといた放下僧の像をまつることから、「放下鉾」と付けられました。
鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し、その形が洲浜に似ているため「すはま鉾」とも呼ばれます。
以前は生稚児が乗っていたが、操りの稚児人形「三光丸」となりました。巡行では、3人の人形方による「三光丸」の稚児舞が披露されます。


















辻まわしに使う竹










岩戸山
天岩戸を開いて、天照大神の出現される日本神話『天の岩戸』にちなんだ山です。
山ではありますが、室町時代ですでに鉾と同じ車輪のついた曳山です。
山である証拠に、鉾頭には松を立てている。屋上には天照大神を含め、3体の御神体がまつられています。
18世紀にインドで製作された胴掛、後掛の緞通も名品です。































巡行最後の船鉾
『日本書紀』に記される神功皇后の説話に由来する鉾で、別名「出陣の船鉾」と呼ばれています。
鉾全体が船の形をしており、舳先には瑞鳥である金色の鷁、船尾には黒漆塗青貝螺鈿細工の飛龍文様の舵がついています。
神功皇后は妊娠中に戦に出陣し、先勝した後に無事、皇子を出産したことから安産の神とされます。






























今日、明日は梅雨前線と台風の影響で雨続きのようですが、祇園祭後祭は雨の中でも山鉾建てが行われます。
山鉾建ての日程は以下の通りです。
 7月18日 南観音山、大船鉾
 7月19日 北観音山、鯉山
 7月20日 浄妙山、黒主山、役行者山、鈴鹿山、八幡山
 7月21日 橋弁慶山
宵山ば21日~23日です。
前祭のような露店は出ず、宵山本来の風情が楽しめて、私は後祭のほうが好きです。
巡行は7月24日になります。







本日祇園祭山鉾巡行

2019-07-17 17:23:05 | 2019 祇園祭


今日は祇園祭がはじまって1150年、令和初の山鉾巡行です。
午前9時過ぎ、長刀鉾を先頭に山鉾23基がくじ取り式で決まった順番に四条烏丸から出発し、四条通・河原町通・御池通を巡行します。
山鉾巡行では神の使いとされる長刀鉾稚児が四条麩屋町に張られた注連縄を太刀で切り、神域との結界を開放して進みます。
稚児は稚児舞(太平の舞)を披露し、山鉾巡行のルートを清め祓い疫病の退散を祈願、囃子方がある山鉾は山鉾巡行中に祇園囃子を奏でます。
巡行途中、四条河原町・河原町御池・新町御池の交差点でしも行われます。
今年の前祭巡行の順番は長刀鉾・蟷螂山・芦刈山・木賊山・函谷鉾・郭巨山・綾傘鉾・伯牙山・菊水鉾・油天神山・太子山・保昌山・鶏鉾・白楽天山・四条傘鉾・孟宗山・月鉾・山伏山・占出山・霰天神山・放下鉾・岩戸山・船鉾です。
今年私は烏丸御池で見学、撮影しました。

長刀鉾
鉾頭に疫病邪悪をはらうとされる、大長刀をつけている長刀鉾。
この大長刀、元は三条小鍛冶宗近が娘の病気の回復を祈願して八坂神社に奉納されたものだと伝えられています。
現在では生稚児が乗る唯一の鉾として知られ、古来より「くじ取らず」の鉾として、巡行では必ず先頭を歩く大役を担います。
前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。
見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了しました。













蟷螂山
蟷螂とは「かまきり」のことで、別名「かまきり山」と呼ばれています。
「蟷螂の斧を以って隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんだ山で、からくり仕掛けのかまきりが御所車の上の屋根に乗り、羽を広げ首やカマを動かす姿に人気があります。
宵山ではかまきりがくるりと回って占う「からくりおみくじ」が設けられ、おみくじを引きに毎年多くの人が訪れます。
祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されており、前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などです。















芦刈山
故があって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会を果たす謡曲『芦刈』にちなんだ山です。
こちらの会所では、夫婦和合、縁結び、再縁を願う木札が授与されます。
ご神体の衣装は山鉾の中でも最も古く、重要文化財にも指定されています。
現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)、胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。

















木賊山
世阿弥の謡曲「木賊」に由来し、信濃の国で子どもをさらわれた翁が、独りで木賊を刈る様子を表しています。
そのためご神体は悲しげな表情をしていることも特徴です。
また腰に蓑をつけ、右手に鎌、左手に木賊の束を持っています。ここでは、「迷子除け」のお守りが授与されます。
前懸は唐人交易図刺繍、左右の胴懸は平成11~13年に復元新調した中国故事人物図の綴織、見送は中国明代の牡丹双鳳文様綴錦です。














函谷鉾
くじ取らずの鉾として長刀鉾に次ぎ2番目に巡行します。
古来中国、斉の孟嘗君が函谷関で家来に鶏の鳴き真似をさせ、難を逃れた史話から「函谷鉾」と付けられました。
鉾頭に三日月と山形、真木の中ほどに孟嘗君と鶏がまつられています。
また函谷鉾が、天保10(1839)年に始めて人形稚児を用いた鉾としても知られています。
前懸は旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調。水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚。見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(1830~43)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調。





















郭巨山
中国の史話『二十四孝』のひとり郭巨は、貧しさのあまり年老いた母と幼子を養うことができませんでした。
苦渋の決断の末、幼子を捨てようと穴を掘ったところ、黄金の釜を掘り当てたことで、家族は円満に暮らすことができたのだとか。
そのことから、別名「釜堀り山」といわれ、金運招来の山とされています。
紺地に神紋の日覆い屋根を用い、他の山と違う特徴があります。









綾傘鉾
山鉾の非常に古い形態を残す傘鉾の1つで、大きな2つの傘と棒振り囃子が特徴です。
巡行では6人の公家風装束をまとった稚児と棒振り囃子の行列が先導し、赤熊をかぶり棒を持った踊り手がお囃子に合わせて、疫病退散の「棒振り踊り」を披露します。





































伯牙山
中国・周時代の琴の名手・伯牙が理解者であった友人の死を嘆き、琴の弦を絶ったという故事『知音』にちなんだ山。
ご神体はまさかりを持ち、琴を割ろうとしている姿を現しています。
その様子から、明治期まで「琴割り山」と呼ばれていました。











菊水鉾
菊水鉾は町内金剛能楽堂にある「菊水井」という井戸に由来しています。
金色の十六菊が付けられた鉾頭、菊の露を飲んで700年生き続けているという枕慈童で能装束姿の稚児人形、山鉾で唯一、唐破風造りの大屋根を持つなどの特徴があります。
創建当初より菊水井のゆかりから会所ではお茶会(7月13~16日)が催されます。

























油天神山
油小路綾小路通りにあることから、油天神山」と付けられました。
金色の社殿には天明の大火後に町内の復興に尽力した風早家伝来の天神像がまつられ、別名「牛天神山」と呼ばれています。
御神体の菅原道真にちなんで、宵山では学問成就のお守りが授与されます。













太子山
聖徳太子が四天王寺を建てる際に、自ら良材を求めて山中に入り、大杉の霊木を教えられ、京都に六角堂を建てた伝説に由来します。
他の山は真木に松を使いますが、太子山は伝説にもとづき、真木に杉が使用されています。
宵山の期間は、「杉守り」と「知恵守り」が授与されます。









保昌山
古くは「花盗人山」と呼ばれていました。
保昌山のご神体である平井保昌は、恋する和泉式部のために紫宸殿前の梅を一枝折り、持ち去ろうとしたところ、武士に発見され、矢を放たれながらもようやく逃げ帰ったという。
ご神体はその盗み去る姿を現しています。宵山では梅の花をあしらった縁結びのお守りなどが授与されます。















画像が多いので残り11基は明日朝の投稿にします。
後祭は一週間後の23日が巡行です。












昨晩の祇園祭宵山

2019-07-16 15:08:19 | 2019 祇園祭


昨晩は宵山、正確には宵々山でした。
15、16日は四条通りや烏丸通りも車の通行が規制され、歩行者天国になります。
昨日の日の入りは19時11分ですが、私は18時半から20時過ぎまで行ってきました。
山鉾のある四条通りも縦の通り(室町、新町、西洞院)、横の通りも片側一方通行です。
15、16日は室町や新町、西洞院に露店も出て、その通りは全く身動きが出来なくなります。
私は混雑回避を優先し、四条通りだけの移動にして、望遠レンズで山鉾撮影しました。
撮影山鉾は23基中11基です。










時間を戻し、18:30 四条綾鉾からスタートします。





郭巨山





放下鉾





函谷鉾





月鉾





菊水鉾





鶏鉾





函谷鉾駒形提灯





19時 函谷鉾、月鉾、郭巨山、四条綾傘





長刀鉾






函谷鉾、月鉾、郭巨山
凄い人出です。四条通りは人で埋め尽くされています。





孟宗山(烏丸通り)
烏丸通りも人で埋まっています。





長刀鉾





長刀鉾の囃方





19:20 長刀鉾
日が落ち、暗くなりはじめました。





京都タワー






函谷鉾、月鉾、長刀鉾、郭巨山、四条綾傘






函谷鉾














鶏鉾










菊水鉾





月鉾駒形提灯





月鉾、函谷鉾、長刀鉾






放下鉾





郭巨山、四条綾傘





郭巨山





螳螂山





四条綾傘






20時過ぎ 四条綾傘、郭巨山、月鉾、函谷鉾、長刀鉾の5基揃い踏み











油天神山





最後20時過ぎ






昨晩は少し蒸しましたが、気温も低く、とても楽な宵山でした。
昨年はこの時期、連日38.5度以上の猛暑続きでしたが、昨晩は25、26度ではなかったでしょうか。
今夜の宵山も雨が降らなければ人出は多いと思います。