世の中に正しい判断のできる人は多数居るが、実行を伴う決断となると、それをできる人は極めて少ないように思う。正しい判断は人が生きていく上で大切なものだが、実行を伴わない判断というものは、大したものではない。
学識経験者とか有識者は、的確な判断力をもっている。しかし決断となると、知識が豊富なだけに様々なケースを想定し、選択を絞り込むことが困難になり腰が引けることが多い。実行には極めて慎重になるのが普通だ。有識者会議というものの提言とは、常にそうなるもので、大して役に立つものではない。
度胸は学問からは生まれない。修羅場をくぐった者だけが果敢な行動をとることができる。須く男性は無鉄砲でありたい。でなければ、女性に勝るところはひとつもない。修羅場は無鉄砲な男性のインキュベーターである。
戦争の無かったこの76年間は、この国と市民には幸運な時代だった。修羅場に放りこまれないで済んだ。この期間を平穏に過ごした私たち老人たちは、兵役に就いた父祖の時代と違って殆どが修羅場と無縁で過ごして来た。
政治力とは実行力であるから、決断する度胸のない者に政治はできない。決断力がある者だけが、政治家と名乗るに相応しい。その意味で、政治家も稟質に依存する職業である。
政治家の判断は、その本人の頭脳から導かれる必要はない。正しい的確な判断は、学者・官僚・評論家などのブレインと言われる頭の良い(実行力のない)スタッフに任せれば良い。彼らブレインの判断を、果断に取捨選択することこそ、その政治家の能力の発揮される部分である。
こう書き進めて来ると、世襲政治家は国政を担うに相応しくなく、国民は彼らに政治を負託してはいけないことに気づく。
なんとも困った事は、地盤・看板・鞄があり、それに依存し切っている政治的不適格者が政治家に成ることである。これが今日の日本の政治の停滞と劣化の主因だと思う。
地盤(票数)を守り、看板(役職)を高く掲げ、鞄(資金)を膨らませることに腐心する。彼らには政治理念なぞ全くない。これで政治が良くなったら、奇跡であろう。
どうも日本人は事大主義と親和性が高いようで、地域社会のリーダーたちが政治家の集票組織(後援会)の与力に組み込まれ、強固な地盤を形成している。変動することは極めて少ない。数千年に亘る稲作共同体が個人に植え付けた習性は、強固な選挙地盤の形成に大きく寄与して来た。
稲作共同体で培われた習性は、近代企業社会が出現しても、集団主義と呼ばれる独特の企業風土をつくりあげ、成功を収めた。その成功要因は、30年の停滞を招く主要因となった。
リモートワークの普及は、どのような変化を生むのだろう?