道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

ボタンの掛け違い

2025年01月10日 | 随想
「ボタンの掛け違い」という比喩表現をよく聞く。
事に当たって熟慮と予見を欠き、発端で何ら難しくない単純な事務処理を誤り、場当たり的な対処をしたがために、最終的に事の破綻に至る事象の喩えである。

これを防ぐには、万事最初が肝腎と心得、ことを軽率に扱わず慎重に運ぶしかない。
ボタンホールというものは並びが整然としているから、ボタンをかけている最中にボタンの掛け違いに気づくのは難しい。
処理をそのまま続けて行って、最後のボタンを掛ける段になって気づき、落胆後悔を味わう。修正は最初に戻って逐次掛け直す外はない。
気づくのが早ければ早いほどやり直しは容易だが、気づくのが後れると、最後の不整合で破綻する。
ボタンの掛け違いは人の判断や認識の間違いによって起こる。私たちは人生の各期で、ボタンを掛け違えるリスクを負っている。

人生はある意味数々のシークエンスによって成り立っている。ボタンの掛け違いは、あらゆるシークエンスで起こり得る。
誤ってボタンを掛け違い、そのままそれに気づかず歳月を経ると、間違いは粛々と後年に持ち越され、最後になって発端の掛け違いに気づき愕くことになる。

できるだけ早い時期に掛け違いに気づき、速やかに元から掛け直すことが望ましい。ボタンの掛け違いというものは、途中での修正が効かないエラーである。人は人生の各期において、ボタンの掛け違いがないよう、注意していなくてはならない。
謙虚に人の指摘や意見を聴き、セルフチェックを怠らないことが、より早く掛け違いに気づく唯一の方策だろう。独善的な気質の人や、自負と自信に満ち溢れた人は、どうしてもボタンの掛け違いに気づくことが遅れがちになる。自己過信は禁物である。

外部の環境からの影響は皆無なのに、もっぱら自からのミスによって起こるボタンの掛け違い。私たちは何事に於いても、初動によくよく注意をすることが肝要だ。

人生のボタンを掛け違えることは、誰にもごく普通に発生するもので、未然に防ぐことはできない。早く気づく以外に対処の術はない。
掛け違いは人生の各期で発生するから、各期に随時チェックして、前期の掛け違いを後期に引き摺らないよう慎重に対応しなければならない。
高齢期ともなると、ボタンを掛け直す時間も体力も気力も残っていないから、その時になってボタンの掛け違いに気づくことの無いよう、若いうちから内省と反省を怠らない習性を身につけるべきだろう。
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