道々の枝折

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肖(あやか)り好き

2021年11月05日 | 人文考察

現代の日本社会で、北アルプス、中央アルプス、南アルプスという名称とそれらの総称日本アルプスは、何の違和感もなく固有名詞として通用している。
明治期に定着したこの名称が使えなければ、山岳雑誌や観光雑誌は編集に支障を来たすだろうし、観光業や登山用具店も困るだろう。しかしこだわり屋の私は、若い頃から、外来語とも違うこの妙な和洋合成語に馴染めなかった。

思うに〈山脈〉という概念はもともと日本に無かったのだろう。飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈という地名を冠した名称は、明治になって初めて学者によってつくられた造語と思われる。江戸時代にそのような単語は無かった。山脈は、維新後かなり経ってから、日本人が初めて耳にした言葉だったと推測する。

山脈という語が造られる前、ウェストンという名の英国人宣教師(登山家)が、日本の高山に熱心に登った。未だ5万分の1地図がない時代、猟師や杣人をガイド・ポーターとして雇っての登山である。
彼は日本の高山をヨーロッパアルプスに擬し、日本アルプスと総称した。更に所在位置でそれを分類して北アルプス、中央アルプス、南アルプスと呼んだ。測量地図もない時代、それが便宜だったからに違いない。命名の動機はごく自然である。

それより遅れて、飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈の語が、日本人の学者または地図編纂者によって造られた。外国人が呼んだ通称が先で、後に正式な名称ができたようである。
ウェストンたちが山を特定するには、自分たちの通称を使うしかなかったろう。

3つの山脈のうち、赤石山脈だけが旧国名を冠していないのは、山域が広大で数ヶ国に跨り、古来の国名一語では包括できず、命名者は山域の特徴であるラジオラリア化石の赤石の名を冠したのだろう。
日本語の山脈名成立後も、ウェストンと同僚の外国人や、彼らから欧米流近代登山を学んだ小島烏水などの日本人登山家も、呼び慣れた通称を用い続けたようだ。通称も正式名称も、昔からあったものではない。

洵に欧米人は天性の探検家ある。地図も登山道も山小屋も無い日本アルプスの山々は、彼らの探検欲を大いに唆ったに違いない。彼らは登頂記を著した。それまでに現地の山々に登頂した修験者や猟師は幾人もいた筈だが、彼らは記録を遺していない。ヨーロッパアルプスも日本の山もヒマラヤも、初登頂者は皆外国人である。

斯様な次第で、明治期に生まれた日本・北・南・中央アルプスの名称は、日本の社会に自然に受け入れられ、定着した。

私が昔違和感を感じたのは、山岳名に和洋合成語を用いて平然と受け入れる、我々の先人たちの拝欧意識と、アイデンティティの不在ぶりである。それがどうにも理解できなかった。
ところが年を取ったおかげで、私にも漸くアイデンティティ不在の由来らしきものが見えてきた。

敗戦後、復興景気と朝鮮特需に沸く各地の商店街に、〈〇〇銀座〉がまるで雨後の筍のように競って出現したことがある。日本一の大商店街〈銀座〉に肖(あやか)ろうとする名称である。

肖るを辞書でたしかめると・・・
【肖る】あやかる
 影響を受けて同様の状態になる。感化されてそれと同じようになる。ふつう、よい状態になりたい意に用いられる。
 影響を受けて変化する。動揺する。

一般的にはの意味で用いられることが多い。
この肖るという〈やまと言葉〉は、神祇信仰の始まった時代から、日本人の深層にある感情ではないかと思う。「神の御利益に肖る」という言葉があるように、肖るは私たちに普遍的な依存感覚を端的に表している。

主体性と自主性の不在、他力依存本能とでも呼ぶべきようなものの存在を窺わせる言葉が、肖(あやか)るである。そのような感情をもたない欧米語の語彙には、該当する単語はないのではないか?

〇〇銀座という名を付け、本物の銀座のような繁盛がもたらされることを願う楽観的な依存性と、地名へのこだわりの薄さは、同根のものだろう。私たちは肖(あやか)り好きな民族であると断言してよさそうだ。

ヨーロッパ文化に憧れ、ヨーロッパアルプスに憧れ、彼の地のものに何んでも肖ろうとする開明的な明治人の拝欧意識には、日本人の深層に潜む肖る心性が潜んでいたと考えられる。

日本の近代登山の黎明期に活躍した日本人登山家たちのアイデンティティの喪失を難ずるより、他力に肖ろうとする楽観主義の方が、日本社会の特質を分析する上で重要な視点ではないかと思う。
〈日本アルプス〉を率先受け入れ、自らを〈アルピニスト〉と称して憚らなかった明治の登山家たちの気風に、興味を覚える。

肖り好きな反面、何が何でも日本の山に、ヨーロッパアルプスとの類似性を見い出さずには措かない執着性にも、心底脱帽せざるを得ない。その心情は、槍・穂高・剣などのアルペン的岩稜への飽くなき憧憬を招き、〈北アルプス登山〉を日本の登山の主流に押し上げてきた。

登山に主流も傍流もあるはずがないのだが、多くの登山者にとって登山の目的地とは、中央アルプスでも南アルプスでも無く、何処よりも〈北アルプス〉だった時代は現実にあった。それぞれの山域の山小屋の数の差が、人気を物語っている。南アルプスには、戦前まで登山者を対象にした山小屋はなかったのではないか?

この3つの日本アルプスのうち、およそアルペン的特徴に乏しい山脈が〈赤石山脈〉である。それは取りも直さず、日本の登山者が憧れるヨーロッパアルプスの亜流でない、むしろそれと異質の日本独特の山岳であることを示している。

氷河圏谷のヨーロッパアルプスへの憧憬は、日本の近代化を担った階層出身の登山者たちの心理を象徴するものである。欧米登山家たちの日本の山々への傾斜は、今日でも連綿と日本の登山者たちの心に引き継がれている。





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2 コメント

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Mrs (玲子H)
2022-01-07 20:57:24
この数日前に初めて貴ブログにお目にかかり、以来毎日のように数時間を費やしています。
このあやかる と言う言葉の通りに、なるほどなるほどとうなずくことが多いにあります。
日本の高層住宅には何々ハイツとか何々マンションとかそれが普通になっていて、海外で私の住所は何々マンションとか言ったら、どんなに驚かされるでしょう。マンションは豪邸貴族が住むベッドルーム何十~何百もあるものを呼び、日本のアパートメント又はフラットではないのです。
最近私の住んでいる近くの駅周辺、昔は工業地帯に高層フラットが8棟出来上がりました。その名もダイロンWork、メイブリンWork,と過去の会社の名前を冠した何の変哲もない高級高層住宅です。そう思うと日本って不思議な国ですね。
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Unknown (tekedon638)
2022-01-08 09:14:29
コメント有難うございます。
海外ご在住の方からみれば、不適切な誤用は目に付かれることと思います。
借用するにしても、適格な語を使って和洋合成語をつくる節制は必要かと思います。
自分達には耳触りが好くても、それが国外で通用しないのは困ります。
違和感あるとお感じの言葉、是非ご発信下さい。
駆逐しなければ、グローバルを生きる孫子の代の苦労が増えます。
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