道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

方言の謎

2021年03月08日 | 人文考察
NHK大河ドラマ「渋沢栄一」が始まった。他に観るドラマがないから、取り敢えず毎回見ている。私はこれまで渋沢栄一に関心が薄く、彼に関する知識が乏しいので、新鮮な興味を覚えながら大人しく視聴している。

毎回視ていてひとつ気づいたことがある。ドラマで使われている台詞に、当地遠州の方言と同じ「〇〇だに」という俚語が、農民同士の会話の場面で頻繁に出てくるのだ。この俚語については、当ブログ「方言」で投稿させていただいたことがある。

脚本で考証された台詞だろうから、渋沢栄一が育った当時の武州榛沢郡一帯では、日常的に使われていた言語だろう。意味と使い方に当地との違いはない。

渋沢栄一の生地は、武州榛沢郡血洗島村(現深谷市血洗島)である。北に利根川、南に荒川、その対岸には秩父山地が控えている。
ドラマで強調されているとおり、養蚕と藍生産の盛んな地域だったらしい。江戸時代の深谷宿は、中山道最大の宿場町だった。
利根川の対岸には、桐生・伊勢崎など一大機織産地が広がる。信州からの製糸原料の流通路、秩父往還は深谷で中山道と合流していた。

遠州浜松と武州深谷とは直線距離で約200km。現代の一般道路を辿れば、320kmを超えるだろう。江戸時代なら、徒歩で8日行程の距離である。歴史的には、それぞれ東海道と中山道の宿場町で、経済交流などは一切無かった。言葉は人が運ぶものだから、当地の言語が中山道の深谷に伝わることや、彼の地から当地に伝わることは、まったく考えられない。
となると、この語の起源地が何処か他の地域にあって、其処から別々の流れで、双方に伝わったと見るのが普通だ。またぞろ詮索癖が蠢動し始めた。

当地では「だに」言葉は、木材の基幹輸送路、天竜川を下って伝わって来たと見る人が多い。となると、起源地は中信であろうか?ネットで調べてみると、松本・岡谷・塩尻などの中信で、この語が使われていたらしい。

「だに」には、もうひとつの伝播ルートがあったと推測される。
中信地方から甲州街道を経て甲斐盆地(郡代地方)、更に秩父往還を伝って利根川右岸の熊谷、深谷に至るコースの存在だ。

言葉の伝播は商業取引の量(経済活動)に比例する。天竜川では木材の取引、甲州街道と秩父往還では繭玉など製糸原料の取引が、東西2ルートの言語伝播に与ったのではないだろうか?









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