道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

始めあるもの終りあり

2021年03月07日 | 人文考察

始めあるもの終りあり。
生者必滅会者定離のこの世にあって、我が身一統だけは弥栄に恵まれると信じて暮らしているのは、相当想像力の欠けた楽観的な人間か増上慢な人物と見てよいだろう。滅する以前に終止を悟ることができない人たちは、予想以上に多い。

省察と見切りの悪さに因るものだろうが、自ら気づけない。特に権威や権力のある人たちに観察される特徴である。それほどに、権威・権力の座は居心地が好く、恍惚感に包まれ、当人に覚醒を促さないものであるらしい。まさに裸の王様の図である。

人は能力限界をパスオーバーしてしまえば、それまでの人生で築いた実績や栄光は、時の彼方に消え失せる。いつも新たに何かを生み出していなければ、存在を証明できない。そうでないと、過去にしがみつくしかない。

人生を山道に喩えるなら、喘ぎ喘ぎ登って到達した山の頂で道が途切れ、その先は断崖絶壁になっているのが、現実というものである。頂の先は百花彩る広闊な高原を想像していたのだが・・・それは夢想というものである。

西洋では権力の座を下りたら、潔く只の人になる。ならないとギロチンが待っているのかもしれない。そのようなシステムに社会がなっている。それが彼の地の文化的伝統だろう。

大統領でも普通の人に戻り、悠々自適、回想録など書き、権力と責任のない自由を愉しむ。権力から距離を置いて初めて訪れる境地であろう。現行権力と関わりを断ち、只の人に戻ったことをむしろ愉しむ。終わりの迎え方が潔い。実は多様な価値のある人には、滅する前にまた新たな始めが萌え出て来るのである。

哲学発祥の地の裔、アメリカ人やヨーロッパ人は、ともすれば観念の世界に陥りがちな中国人や我々よりも、人間と社会の本質をより詳しく知っているようだ。彼らは、日本のように、江戸の昔なら年寄・大人と呼んだ執行権のない相談役とか顧問とか、形ばかりの実権のない(=責任のない)役職で権力の末席に残ることをしない。前職が何らかの形で現行権力に影響を残すのは、私たち社会に固有のものだろうか?どう見ても権力に執着しているとしか思えない。

人間のつくった団体や組織は、生体と同様老化を免れない。常にその組織の機能の更新が行われているならさほど問題はないが、更新が間遠になれば、組織は機能が劣化する。このような団体は、当初はどれほど固い絆で結ばれていようとも、必ず紐帯が解け内部から崩壊が始まる。自壊作用というものである。そしてまた新たな始めがある。人は須く「始めあるもの終わりあり」である。
終わったら、新たな始まりを愉しむべきである。




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