ドアを開けると、壁に沿う通路の奥にカウンターが見えた。通路の右側は一段高い板張りのフロアになっている。客席のテーブルは6・7卓ほど、フロアの壁際に置かれた大時計が、ゆっくり銀色の振り子を往復させ時を刻んでいた。
椅子に掛けると、和服にエプロン姿のウェイトレスがオーダーをとりに来た。これにはいささかたじろいだ。大正時代の婦人が突如現れたと錯覚したからだ。雰囲気が調っていたから、コスチュームに違和感がない。客の私たちの方が、不自然に見える。刻を告げる大時計の重く柔らかな音色が、タイムスリップ感を高める。奥三河の、秋葉街道に沿う旧宿場町、たまたま立ち寄ったレトロなカフェは、大正末期に地元の銀行の本店として建築された建物だった。
昭和の半ばまでの世代は、大正、明治の時代の建物に父祖の呼吸や体温を感じ取るのだろう。それが、明治村や大正村に観光客を引き寄せている理由に違いない。
今年は大正元年から数えて100年目とか。ということは、当年7月30日以後に紀寿を迎える人達は、大正生まれということになる。
2008年の調査によれば、大正生まれの人口構成比率はたった4.4%だった。戦争で甚だしく人的損耗を被った世代だ。因みに昭和生まれは77.4%。この人達のなかに、4.4%の大正世代の子女、すなわち団塊の世代が突出して多数を占める。その団塊世代が、今年から前期高齢者に加わり始める。
明治100年を盛大に祝ったのは1968年(昭和43年)で、この年日本のGNPはドイツを抜き、自由主義圏ではアメリカに次ぎ2位になった。新幹線開業と東京オリンピックから4年目のことだった。
大正100年の今年、北京オリンピックを2年半前に開催した中国のGDPがアメリカの次位におさまった。半世紀前の、日本の経済発展のリプレイを当今の中国に見る思いがする。
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