このカニの成体は秋から冬にかけて繁殖のため海に降る習性がある。産卵の後には雄雌共に海で斃死するらしい。孵化した幼生は海から汽水域へ出て、いったん定着した後上流を目指す。遡上の旅に出て2・3年かけて成体になるという。アマゴ、イワナの棲息域まで遡上するというから、河口から100キロ以上は遡るのではないだろうか?上流で捕獲される個体は甲幅10㎝を超える大型のものが多いと聞く。各地の河川の流域では、河口から上流に至るまで住民がこれを獲り食用にしてきた。
伊豆の河津では河津川で獲れるこのカニが名産で、時期になるとこれを食べるために泊まりがけで訪れる観光客で賑わう。河津に限らず、狩野川沿いの修善寺でもズガニは多く獲れ、観光客に供されるという。
修善寺よりも上流の湯ヶ島は、小説家で詩人の井上靖の郷里である。子供の頃を回顧した随筆「幼き日のこと」で、川蟹のこと触れている。若い叔父が蟹獲りの名人だったようだ。
両親と離れて暮らす靖少年を養育し溺愛もした「おかのお婆さん」は、このカニを食べることを厳しく禁じたという。このお婆さんは、医者であった靖少年の祖父の、本妻公認の御妾だった。
川ガニが肝吸虫の中間宿主であることを、その病害を熟知していたようだ。この女性は海の魚介の豊富な下田の出らしいから、肝吸虫感染のおそれのある淡水カニは、火を通してあっても鍾愛する靖少年には食べさせたくなかったのだろう。生き物だけでなく、名産のワサビの茎も、胃に悪いからと食べさせなかったというから、靖少年の健康への配慮は相当なものだ。
このような妙に神経質な衛生観念は、「おかのお婆さん」に限らず女性に特有のものであるように思う。いったん不潔と思ったり害があると知ると、もう煮ても焼いても口にしない女性が多い。それでいて、寄生虫と縁浅からぬ愛玩犬には、口移しで食べ物を与えたり、その犬のトイレを居間に置いて些かも気にしない。自己愛が強いのか?盲愛・偏愛に陥りやすいのか?それとも母性本能に由来するのか、女性の愛情感覚には、男性の理解を超えるものが多い。
人には理性に発する愛と情念に発する愛とがあって、2本がDNAのらせん構造のようになっているのだろうか?文芸作品を読むと、我ながら愛への考察が浅く薄く乏しいことを痛感する。整理・理解が困難なものは疎ましく感じて来たのだろう。
話がズガニからあらぬ方に逸れてしまいそうなので、勝手ながらこのへんで筆を擱かせていただく。
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