道々の枝折

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Lookism

2024年01月27日 | 人文考察
「Lookism」という耳慣れない和製英語があるそうだ。looksとismを合わせ「外見至上主義」を意味するらしい。

社会はルックスに過剰な価値を認める方向に進んでいるらしい。いや退いているらしい。
若者がテレビ・Instagram・TikTokその他、ビジュアル情報に四六時中接している日常生活が、この傾向に拍車をかけているのだろう。これは世界的な現象に違いない。

小学生がお年玉を遣い美容整形外科で瞼の整形手術を受けることが現実に有るという話を聴いて仰天した。親が整形に同意しているということだろう。
親が推奨するケースも考えられる。
祖父母は自分たちのお年玉がその様な遣われ方をするとは思いもよらなかったに違いない。そういう時代に至っているのかと、老人は只々呆れるしかない。何しろ生成AIの時代である。偽物が本物を凌ぐこともあり得る。
そもそも、成長期の小学生に美容整形手術を施す医師がいることが信じられない。あってはならないことである。

どうも中韓日東アジア三国は、この芳しくない価値観、ルッキズムに相当以前から汚染されつつあるようだ。
外見至上主義なら、お隣の韓国が先進国だと認識していたが、今日では中国やタイがそれに続くらしい。わが国も安心してはいられない。

KPOPSグループのメンバーの顔が皆酷似していて、名前がサッパリ覚えられないと嘆く人がいた。
私が韓国の男女優の容貌に違和感を抱いたのは「冬のソナタ」あたりからで、かれこれ20年前、今日5人に1人が整形していると噂される整形社会があっても不思議ではない。
芸能分野は見られることで成り立つ生業だから、それを必要とする人の比率が突出して高いのは、どこの国でも同じ事情だろう。

外見を何よりも優先するのは、それに勝る価値の存在を未だ知らないか、心の目を塞ぎ無視しているかだろう。
拝金主義と同様、精神の退行を端的に示すものである。情操の欠落が斯くもグローバルに進行しているかと知ると、暗澹たる思いに駆られる。

私は不自然なことがとても嫌いだが、不自然であっても、効用や必要の大きいことは世に数多くあるので、何もかもがいけないとは言わない。だが、怪我や病気の外科手術ならともかく、健常な肉体に手を加え改変することには、生理的にも心理的にも抵抗感がある。

外見至上主義を個人の自由と考えるなら、その人は好きなようにやればよい。究極の虚飾を施して、中身の無い外見だけで若い盛りを謳歌するのは当人の自由である。
だが人には老化という冷厳な事実があることを忘れて欲しくはない。老いたらどうなるか、想像するだに怖しい。
老いが整形した外見を蝕み始めたら、更なる補修に追われることになるのではないか?美容の世界で、医療技術と老化との追いかけっこが始まるのは、不毛以外の何もでもない。

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