道々の枝折

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羨望の裏地

2024年01月24日 | 人文考察
日本の歴史を調べると、紀元前2世紀から古墳時代が明けて間もなくの上古の時代までに、中国から文字・道教・仏教・儒教などの文化が一挙に雪崩の如く流入したらしい。

飛鳥奈良時代に中国に倣って律令制度を導入した日本の朝廷では、貴族は朝廷から授けられる細かな身分制度、官位というものの支配を受けるようになった。

官位とは官職と位階のことで、官とは職務の一般的種類のこと、職とは職務の一般的範囲のこととある。
ルーツは中国の律令制にあり、朝鮮・日本はそれを導入し模倣した。

東北アジア三国の身分制社会は、中国の隋・唐の律令制度に起源をもつ。
人種的に近いことからも、この三国の民族は、不合理な身分差別に共通する部分が多いと見て差し支えないだろう。
官位制度を知れば知るほど、古代中国流の人心収攬のテクニックの巧妙さに感服するほかはない。

現代の日本人に受け継がれた身分意識や差別意識の源流が、全て中国由来の非合理な思想にあろうことは論を俟たない。
日本人ほど、細かく身分にこだわり、それに応ずる敬語を巧みに使い分ける民族も、今日の世界では珍しいのではないか?

中国の身分制度は、古代の中国人に普遍の因循固陋な意識・観念から生まれたものである。極めて貴賎に拘り、一家眷属の血縁集団の栄達と優越を人生の目標とし、独善的で同胞愛の乏しい社会をつくりあげた。自分や眷族だけの発展を願い、他を蔑ろにする自己中心的性癖は、現代の中国人にそっくりそのまま受け継がれているように見える。それは習癖により受け継がれて来たものもあるだろうが、稟性によるものが大きいと思われる。

日本語に差別用語が多いのは、古代中国の用語(漢語)に差別用語が多かった結果だろう。漢字そのものに、差別語が甚だ多い。
中華(この発想が凄い)に対する西戎・北狄・東夷・南蛮など、四囲の異民族を蔑視する漢語があることひとつを見ても、中国人の異民族を蛮族視する習性が強く現れている。

日本語の「家」と「屋」の遣い分けなどもこの伝に随うものかもしれない。
見上げる時は〇〇家(例篤農家・素封家)で、見下す時は〇〇屋(鍛冶屋・八百屋)となる。この使い分けひとつ見ても、未だに言語が担う差別意識の存在に愕く。

これに慣れると、今度は自分を「屋」と言って、差別語を謙遜語とする手の込んだ遣い方があることに愕く。
謙遜して見せているが、実はそうではない。実際は当人は自らを「家」と意識しているのだが、敢えて「屋」と言って謙っていることを強調する手法である。自らを貶めることで、明らかに謙っているのである。謙る心理の裏に、強固な自尊心が張り付いていなければできない遣い方である。
無闇に謙る人間は、その裏に強い自尊心を秘めているから、注意しなくてはならない。

「謙遜するのも自慢のうち」という言葉が端的にその心理を指摘する。過剰に謙るのは謙虚なのでなく、実は強い自尊心の反映である。だから彼らや彼女らは、自尊心が傷つけられると、自信と余裕を失って、執念深く相手を恨む。

「師」と「員」の対比もよく見かける。教職にある人が、自らを教員と呼ぶ時には謙遜しているのだが、一方で教師・恩師という語が常套化している社会なればこそ、遣える言葉だろう。

登山家と登山者、作曲家と作曲者、画家と絵かき、作家と物書きの使い分けは、大家であるか修行中であるかを明確に仕分ける。者は何者でもないのである。
それは大家への敬意を表わすと共に、弟子など修業者に対する軽侮の念を表わす。そうすることで、相対的に大家を持ち上げる意識が働いているのである。

洵に尊敬とか羨望という意識は曲者である。見上げる視線に見下す視線がセットで潜在し、相手により使い分けているのである。「羨望」と「不遜」というものは、一枚の着物の表と裏のような関係にあるのかもしれない。




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