道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

真冬の停電

2005年12月24日 | 随想

 列島が凍え上がる寒さの中、新潟県で二十二日に発生した大規模停電の二ユースは、寒がりの私を大いに脅かした。

 私の家の暖房は、温風式灯油ヒーターとエアコンに依存している。どちらもモーターを使っているから停電したらその間は暖がとれない。いくら温暖の地と言われていても、最低気温が零下になるこの厳冬期に暖房無しでは過ごせない。程度の差こそあれ、雪国の停電は余所事とは思えなかった。

 まして当地は東海地震の防災対策強化地域内に在り、住民は日頃マグニチュード8クラスの地震がいつ発生してもおかしくないと言い聞かされている。真冬に地震が発生したらどうなるのか?

 これまで、地震で発電所や送電設備が壊れ停電になることは当然のことと知っていた。しかし、その結果予想が、照明や通信、放送を失うことのみに止まり、暖房を失うことには及ばなかった。おそらく、真冬の地震を想定するのを無意識のうちに排除していたのだろう。我々には、想像したくない事態に対しては、それがどんなに蓋然性が高かろうと意識から遠ざける機制が常に働いている。
 
 
 急遽、自然通気型解放式石油ストーブ(長たらしい名称だがただの灯油ストーブ)を2基購入した。温風式ヒーターと較べると、何となく旧式のイメージを免れないが、電気に依存しないで赤熱する燃焼筒は頼もしく、温風ヒーターやエアコンにはない安心感がある。しかも、着火、消化、給油、消臭等の技術的な改善も著しく、旧のものとは格段に進化している。

 30年以上前には、この石油ストーブが日本の家庭の暖房器具の主流であった時代もあったかと思うが、今ではあまり見かけることが少なくなった。気がつけば、灯油を使ってはいるものの、電化製品である温風式ヒーターが家庭用暖房器の首座を占めている。燃焼効率その他の機能性が優れているからそうなったのだろう。しかし、いかに優れた機器であっても、その動力源が断たれては役立たずのガラクタである。現代の便利な生活は、遮断されたらいっさいの機器が機能しなくなる、電力に全面的に依存する脆さの上に成り立っている。
 インフラや企業の生産機構のような巨大なシステムには、停電へのバックアップシステムが確立されているが、個人レベルではほとんど無防備に等しい。

 今度の新潟停電事故は、電力というエネルギーに依存する現代の産業社会や家庭生活の脆さをはからずも教えてくれた。灯油にしたところで、備蓄には限界がある。

 必ず起こると言われている巨大地震によって、電気やガス、石油などのエネルギーの供給が断たれることはほぼ間違いない。
  冬期の被災に供えて、日常利用している熱源とは別の、緊急用の暖房熱源を別途に用意する必要がある。水、食料、照明の次あたりに、それを加えておいたほうがよさそうだ。おそらく、木炭とか、練炭とか、半世紀以上前の暖房熱源ということになるのだが・・・。

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