赤石山脈の兎岳(2818m)を真東に望むしらびそ高原(1918m)の南端に、下栗(しもぐり)の里(800m〜1100m)という高所集落がある。
縄文時代から続く山地集落で、かつてはわが国有数の僻地だった。
最初にこの地にたどり着いたのは、陸路の無い山峡の天竜川を舟で遡り、更にその支流遠山川を遡って尾根を登り、住むに絶好な湧水のある日向斜面を見つけた、ごく少数の人々だった。今より気温が3℃〜5℃ほど高かった時代、狩猟と採集で生活し集落を営むのに、快適な生活圏だったのだろう。
それから数千年、〈しらびそ高原〉が開発され、道路事情がよくなってからの20年ほどの間に、私はこの地を幾度か訪れた。
谷に向かって急傾斜の畠は、自給用の野菜を栽培するのに精一杯の広さだが、鹿・猪の獣害が甚だしい。作物を護るには狩猟が欠かせないから、男性は殆どが猟師だった。
明治時代に日本各地の小銃保有数を調べたら、伊那谷の保有率が一番高かったという。有害鳥獣の密度が格別に濃い土地柄だろう。
山国の食事は素材が平地と異なり、里の者には興味深い。当時の下栗の民宿での昼食は、猪汁や鹿刺し、蒟蒻料理が主体だった。
私たち日本人の先祖が、水田耕作を知る以前の常食を知る上で、ここの食事は大いに参考になった。
その頃は、都会からマイクロバスを仕立て、昼食や夕食を賞味しに来る人たちもいた。
ここで食べた猪汁は、その後の我が家の豚汁を変えた。
ネギ・根菜類などの具材と味噌仕立ては変わらないが、豚肉に一般のスライス肉を使わない。現地の猪汁に倣ってバラ肉の塊を1センチ角の拍子木切りにすると、豚汁の旨さが変わった。
牡丹鍋は猪の薄切り肉を用いるが、どちらかというともてなし料理、猪汁は惣菜である。
信州では古くから、この伊那谷の南部から南の遠州国境までを〈遠山郷〉と呼んだ。赤石山脈から流れ出して天竜川に合流する川は〈遠山川〉。
山国の信州であっても、国府の所在した上田あたりから見て僻遠の地だから、遠山と呼ばれたのだろうか?
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます