小学生の昔からの時代小説好きで、江戸の地名はかなり諳んじている。ところが、それを逐一現代の地図と照合する手間を省いてきたため、いまもって江戸の地理に不案内だ。外国の小説を読むときには、地図を参照しながら読むこともあるのだが、生半可に知っている江戸となると、横着をして地理不明なまま読み進んでしまう。
池波正太郎の「鬼平犯科帳」は、江戸の町名が頻出する。それも、墨田川の両岸が多い。所在、方向、距離、土地勘のない悲しさ、場面の移動に概念がついていけない。
これと同じ憾みは当時の時刻にもあって、不定時法表記の「亥の刻四ツ」とか「申の刻七ツ」とかは、時刻を直感できない。文脈から推定することで済ましてしまう。本当は、時間・空間を実感しながら物語を読んで、臨場感を掴むのが望ましい。
そこで遅ればせながら、江戸時代の史跡を探訪し、当時の町名と現代の住居表示とを対照する旅を思いついた。単なる懐古趣味に過ぎないが、江戸の町並を確かめることで、改めて物語を追想することになり一石二鳥。手始めは、本所吉良邸から・・・。
義士に討ち入られたときには、2500坪の広さの敷地に、380坪の母屋と420坪の長屋があったという。その敷地の一部30坪を墨田区が本所松坂町公園として保存している。
近くに勝海舟の生誕地があった。その土地には喫茶店が在り、「勝カレー」というメニューがあった。
幕末の英傑、勝海舟が生誕の地をあまり大切にしていなかったことが推察できる。史跡として、地元に重く扱われていないのは珍しい。江戸が戦火に見舞われることを防いだ立役者のひとり、顕彰碑があってもおかしくないのだが・・・。
歴史上異例の大躍進を遂げた人たちのなかには、生誕地に冷淡だった人が存外いるものだ。秀吉しかり、家康の先祖の地、三河松平郷しかり。出世後の威勢とそぐわないからだろう。とは言え、人は自らの根を断ち切ることはできない。アイデンティティを失うことになるからだ。人間というものは、好かれ悪しかれ過去に立脚しなければ、今と対比する昔がなければ、現在を慥かに生きることは難しいだろう。
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