道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

知識から思考へ

2012年03月30日 | 随想

インターネットの普及によって、これまで一般的に知識と言われてきたものの相当部分がネット上に集積されている。それは驚くばかりだ。パソコンとインターネットが出現するまで、知識と呼ばれる情報が人類の一部に共有されるためには、途方もない時間と、優れた少数の著述能力ある人々を必要としてきた。

インターネットでは、内容の信頼性にバラツキは大きいものの、ネット上に無名有名を問わず無数の人々がアップロードした膨大な情報が集積され、誰もがいつでも容易にその情報を検索、利用できるようになっている。これまでの個人知に対する集合知というものの、想像を絶したパワーを、日々思い知らされている。

ネット上に蓄積された知識は無数の参照者のアクセス数が増えるにしたがって、検証され修正され信頼性は日々高くなる。バラツキの大きい個人知に基づく情報よりも、より客観的で信頼できる情報に進化する可能性がある。信頼に値しない情報は、静かにネット上から廃却されてしまうか、誰もアクセスしなくなる。

今や知識は、個人の存在証明の座から降りつつあるように見える。陳腐化、劣化の速まりつつある知識に対し、その淵源たる思考こそが人間の知の本質であるという当たり前の認識と、その絶えざる思考から生まれる叡智こそが、人類の求め続けるべきものであることを、改めて気づかせてくれたのは、IT時代の最大の成果ではないだろうか。

人類が文字を発明して以来数千年の間、知識は専ら文書の形で蓄えられ、印刷技術が普及した近世まで、それを活用できるのはごく少数の特権階級の人々に限られていた。ヨーロッパがルネッサンスの時代に入るまで、知識はほとんど門外不出のものであったといっても過言ではないだろう。我が国ではこれに遅れること200年、近代になって初めて、知識はようやく求める者に授けられる道を開いた。

日本での知識の限局化は特に顕著で、知識は江戸時代になっても武士、公家、学者、僧侶、富農のものであり、庶民が書物に書き著された知識に触れることはほとんど不可能に近かった。

明治維新になって、西洋で蓄積されていた知識が堰を切ったように流入するとともに、富国強兵の国家的要請が学校制度を拡充し、知識を学ぶ機会の平等化が推し進められた。知識は、求める者にとって比較的容易に得ることが出来るものになった。それは、以前の幕藩封建時代からみれば、画期的な変化であった。

しかし西洋に遅れること200年。遅れを取り戻し追いつく努力は、異常なほどに知識を偏重し崇拝する社会をつくった。それまでの支配階級における学問と言われるものが、実験、実証による科学ではなく、文献講読による観念の知識習得に偏っていたから、維新後の西欧の新しい知見に対しても知識偏重にならざるを得なかった。

和魂洋才と云う言葉には、洋の先進知識を速やかに取りいれ、和の儒学国学で培われた思考法はそのまま活用しようとする、極めて狡猾な、便宜主義的な魂胆が透けて見える。

洋才をつくりあげた洋魂、すなわち西洋の学問を産んだ創造精神にまで思い至らなかったのは、付け焼き刃でも短期に近代国家の体裁を整えるという、社会の至上命令が優先された結果だった。

この形は、戦前から戦後にかけても変わることなく続いた。この国では、学問とは、記憶力に依存する知識の蓄積であって、思考や創造、発想など評価の尺度がないものは軽んぜられれてきた。

黒船が来航し仕方なく開国させられても変えることのできなかった知識偏重主義は、インターネットの普及を迎えたいま、確実に崩れようとしている。

無数の有名無名の人々の、自らの知識を見ず知らずの他者に伝えたいという単純な欲求が、瞬く間に巨大な集合知の殿堂を築き上げた。検索の容易性と情報通信速度の高速化で、いまや小学生であっても、物事を知るだけなら、大学生と較べなんら遜色ない情報に接することが出来る。

知ることは世過ぎ身過ぎに関わる知識で十分、考えて何かを生み出すことこそ、国を挙げて取り組まなければならない。

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