小学校6年の頃、クラスで昭和の軍歌が流行ったことがあった。左翼シンパの担任教師は好い顔をしなかったが、生徒が唄うのを禁止したりはしなかった。クラスの男子たちは、互いにレパートリーを競い合った。
最も多く歌われたのは、「父よあなたは強かった」という歌だった。私も愛唱した。
私はこの歌の1番目と2番目の酸鼻を極める歌詞を聴いて、戦争が大嫌いになり、以後戦争映画を観なくなった。3番と4番は大いに戦意を高揚させる歌詞になっているのだが・・・
この1・2番の歌詞の英訳を知ったある外国人が、「これは反戦歌ではないのか?」と真面目に訊ねたという逸話がある。まさに厭戦を煽る内容であるが、それが戦後の日本で一番多く歌唱された軍歌であるところに、日本人に特有の情緒的メンタリイティが感じられる。
日本人は元々漁労民と農耕民で、その性温厚、攻撃的で好戦的な民族ではない。その民族を、剽悍無比で生まれながらに戦いを好み、日常的に血を見る遊牧・狩猟・牧畜の歴史をもつ民族の欧米列強国家の軍隊と対等に戦える軍隊に仕立て上げ、兵士を戦場に駆り立てようとすれば、このような厭戦歌と聴き紛う軍歌ができ上がる。歌に悲壮感が顕れてしまうのは、避けられない。
「戦友」などは全曲悲壮感に満ち満ちている。威勢よく敵を撃破殲滅する軍隊の応援歌ではない。
敵基地攻撃などと勇ましい事を口にする政治家には、改めてこの軍歌を口ずさんでもらいたい。日本人の本質が解るだろう。ロシアの軍歌、アメリカの軍歌と比較すると、歴然たる違いが明瞭である。
先制攻撃は、継戦能力を含む総合戦力に優る側でないと完結成功できない。緒戦の勝利が最悪の結果をもたらした太平洋戦争の悲惨な経験を忘れてはいけない。
あらゆる資源を輸入に頼る国は、主体的継戦能力を保たない。自衛能力の充実、専守防衛しかできないことを知らなければいけない。
2003年のイラク戦争は3日間だった。アメリカ主導の多国籍軍だから、作戦出来た戦争である。次なる戦争は、本題のような情緒的な軍歌を生む余地など一切無い、瞬時に勝敗が決まる戦線なき全面戦争である。
父よ あなたは強かった
兜(かぶと)も焦がす炎熱(えんねつ)を
敵の屍(かばね)と共に寝て
泥水(どろみず)すすり草を噛み
荒れた山河(さんが)を幾千里
よくこそ撃って下さった
夫よ あなたは強かった
骨まで凍る酷寒(ごくかん)を
背(せい)も届かぬクリークに
三日も浸っていたとやら
十日も食べずにいたとやら
よくこそ勝ってくださった
この歌詞の世界は、誇張があるとしても、精強な軍隊の将兵の戦いぶりとは思えない。兵站不備に因る糧食の欠乏は明らかだ。兵は我慢強いのである。
父も夫も強くない。忍耐強いことは、剛勇とか強壮とは同義ではない。何処かで強兵に対する意味の混同と転化が、軍を運用する側に生じていたと観る。どんなに訓練を重ねても強くならない兵に、指揮官が忍耐を強要するのは倒錯である。この倒錯は、軍隊でなくスポーツの世界でも観察される現象である。強化を目指して然るべき成果が上がらないと、選手に過酷なトレーニングや節制を課し、それに耐えることを強化と混同する指導者が現れることがある。
軍歌の世界は、戦争をしたい指導者が戦争をしたくない国民に、自己犠牲や忍耐を強制していた実態を浮かび上がらせている。この歌には、過酷な戦況の中で、ひたすら耐え忍ぶ大陸派遣軍のありのままの姿を想像させる。当時国内で喧伝されていた、戦意頗る高い、破竹の進軍を続ける、我が無敵の皇軍のメージは何処にもない。
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