道々の枝折

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安土の歴史

2018年02月26日 | 歴史探索

ドアを開け外に出ると、満天に星が煌めいていた。まだ早春の夜明けだが、手袋が無用に思えるほど外気は暖かい。一昨年秋以来毎月通っている近江歴史探索行、正月は休んで2ヶ月ぶりなので心と足が弾む。橋を渡り坂を登って台地の上に出ると、東の空が白み始めていた。この時刻、駅へ行くバスはまだ動いていない。暖かさに誘われるままに、駅まで約4kmの道のりを歩いた。

今回の探訪地には安土を選んだ。安土は見どころが多く、既に3回も訪れている。毎回必ず立ち寄るのが〈安土城歴史考古博物館〉で、ここで滋賀県全体の遺跡の所在分布とそれぞれの存立年代を予め確かめ概要を掴むことにしている。展示物を観覧し、解説パネルを読んで、琵琶湖周辺の遺跡巡りのポイントを探る。

歴史考古博物館というものは、所蔵品を観覧する場であるよりも、歴史遺産や出土品の歴史的意義について、私のような門外漢にわかりやすく教えてくれる、予備的知識の収集と整理のための施設であって欲しい。史跡、遺跡の多い滋賀県には、当然のことながら考古や歴史・民俗にかかわる博物館が多い。

安土で目的にする史跡というと、〈安土城跡〉〈観音山城跡〉〈瓢箪山古墳〉〈沙沙貴神社〉などが挙げられる。過去3回訪れていても、まだそれらの半分も探訪できていない。

安土城跡は標高199mの安土山にあり、大手口から本丸までは急な石段が続く。電車で怠けた脚には、インパクトのある急登階段、上りも下りもきつい。

安土というと、大方の人は安土城=織田信長を連想する。しかし、歴史は時間軸に沿ってイベントが積層したもので、信長との関係は時代の一コマに過ぎない。なるべく有史以前から、古代、中世に至る各時代を透視する眼で、現地の歴史を探索したい。

個人的には〈信長・安土城跡〉より〈瓢箪山古墳・佐々木山君〉、〈佐々木六角氏・観音寺城跡〉、〈近江源氏・沙沙貴神社〉の方に関心が高い。

古墳時代から平安時代にかけて、当時の〈蒲生郡〉〈神崎郡〉から成るこの辺りには、〈狭々城山君〉という豪族が君臨していた。古墳時代前期、4世紀の〈瓢箪山古墳〉に葬られた人も、狭々城山君に関係があるといわれている。更に近江源氏佐々木氏は、狭々城山君の後裔の〈佐々貴山君〉が姻戚で勢力を拡大し、近江守護、戦国大名に発展したとみられている。思うに安土は、信長一代の功業よりも、狭々城山君佐々貴山君佐々木(六角)氏と繋がる累代の歴史にこそ、探るに相応しい場所であるようだ。

佐々木氏は鎌倉時代に、京極・六角・大原・高島の四家に分かれ、佐々木六角氏は近江南部を本拠として戦国大名になったが、織田信長により亡ぼされた。

次に安土を訪れるときは、狭々城山君(ささきやまのきみ)が祖神を祀り、佐々木氏が氏神として崇敬し、近江源氏の守護神であった〈沙沙貴神社〉を訪れよう。その上で、佐々木氏の居城、観音寺城跡のある〈繖(きぬがさ)山〉を歩こうと思う。標高約440m、近つ淡海の春のハイキングは、遠つ淡海の住人にとってまたとない遠足になることだろう。

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