道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

情操という忘れもの

2023年12月21日 | 人文考察
当ブログでは、再三、情操の大切さを繰り返して来た。
情操とは、物事に感動する心、人を労わり共感する心、自然の多様性に感銘を受ける心、芸術を愛する心、その他諸々の好ましい人間的な感情である。

情操に最も近い英語はsentimentという語になるだろう。
意味の広いsentimentの訳語に「感傷」という明治の和製漢語を当てた学者さんは、日本人の情操理解に誤解を招いた。この訳語ゆえに、情操にマイナスイメージを抱いたり無関心になってしまう人は多い。感傷は情操の内のごく限られた情念である。

企業社会はその体質から、情操を重要視してはいない。企業戦士として会社に忠勤を励んだ人たちは、企業を退めて初めて、情操の意義に気づく。晩節が否応なくそのことを気づかせるようだ。

情操は、私たちが老いて、寄る辺ない身であることを自覚した時に初めて、その存在と重要性を顕す。
情操は老境にある身を、支え慰める源泉である。個人として、人生を全うするには、何よりも必要なものである。
長い社会生活の涯に臨んで、個人にとって情操が不可欠であり、それが後悔しない人生を実現するために必須なものだったと知る。

情操は後からでは取り戻せない情操が育つに好適な適齢期というものがある。自意識が芽生える9歳前後から感性が充実する18歳ぐらいまでであろうか?
情操が育つ多感な頃は、受験勉強や部活練習に忙しく、情操を養う機会を失いがちだった。残念ながら、日本の教育システムは、生徒が個別に情操を育み養うことに対して懐が浅い。

情操は教養の源泉である。
人は皆、教養の必要性は理解しているが、その人たちの中にも、情操の養成には迂闊だった人たちが居る。
晩節を迎え集団から離れ、人生の秋風に触れて初めて、その重要さに気づくのではないかと思う。





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