小学校の同級会があった。「産めよ殖やせよ」の時代末期の生まれは、71名という今ではとうてい考えられない大人数のクラスだった。物故した旧友は6人を数え、担任教師も数年前に他界している。
生徒時代を通じて、未だ自我に目覚めない小学生の時期は、誰もが比較的幸福な期間であったように思う。高度経済成長の軌道に乗る前の日本は、今と較べればゆったりのんびりしていた。戦前国家の教育統制への反省から、教師に自由裁量と時間的な余裕が与えられ、その好影響は自ずから教室の空気に反映した。
生徒達は概ね恩恵に与り、休み時間も教師と接し、休日には教師宅に多勢で押し掛けたりもした。教師もまた職務としての家庭訪問だけでなく、任意に生徒宅に立ち寄り、生徒の生活状況を観察し、父兄と歓談することもあった。戦前の反省からか、教師たちは自らを、教員と呼んでいた。
同窓生とは、学舎の窓を共にした同僚の謂で、同じ視点から見た窓の内外の光景は、校域はもとよりその先の街衢、遠くに霞む山並にまで及んでいた。共通の視点で同じ光景を見ていた仲間ということは、お互いが各々の個人史の数少ない証人同士。私達は同窓生の面影の向こうに、薄れかけた昔の自分の姿を辛うじて見ることができる。
記憶というものは、ときどき脳裡に呼び戻さないといけない。そうでないと古い記憶の欠落を招く。小学校の同級会は、薄れゆく過去の自分自身に触れるまたとない機会だと思う。
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