道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

原発への懸念

2012年05月21日 | 随想
数ヶ月ほど前のある新聞の特集で、原子炉工学の専門家が記者からの7つの質問に答えていた。そのうちのひとつに、我が目と耳を疑う回答があった。

「事故に関して、原子炉工学の専門の立場でも気づかなかったことはありますか?」との問いかけに、その専門家は「私は、核燃料は全て原子炉格納容器の中にあると考えていた。使用済み核燃料が格納容器の外にあることは、福島の事故まで気づかなかった」・・・???

日本の原子炉工学の泰斗が答えたあまりに素直な告白。事故が起きるまで原子力発電所の使用済み核燃料が格納容器の中にあるものと思っていたという発言には、唖然とするほかなかった。

原子力発電には、専門家の認識が及ばない実用がまかり通っていたということか?それとも、実用と乖離した認識が通用していたということであろうか?この誤認がこの人だけのものだったのならともかく、他の現役の専門家達も同様に誤認していたとしたら、3.11以前の原発の安全対策というものは、端から役に立たないものであったということになる。

優れた専門家といえども、人である以上事実の誤認や見落としは有るだろう。専門性が高ければ高いほど、またそれに権威がともなうほど、他からのチェックが及ばず盲点が生まれることは避け難い。高度な専門知識が時に誤った判断を下す理由はこの事情に因る。

あらゆる工学技術の粋を集めて設計され、厳格な設計審査と施工検査を経て建設された原子炉も、いったん運転を開始すれば、その時点からそれは強烈な放射能をもつ人体にとって忌まわしい構造物となる。専門家といえども、滅多に現場視察や実地調査はできなくなるだろう。専門家ほど放射線被曝を怖れるであろうから、稼働中の原発の精査は、正直なところ避けたいに違いない。原子力の悩ましい問題は、自分が怖れて避けたい仕事を多数の他人にやらせるところにある。専門家はキュリー夫人の跡を逐うのは避けたい筈だ。

原発の建設施工段階では優秀な技術者と技能者が多数参加しているものの、運転開始後に原子炉の運転を停止して定期検査(13ヶ月から24ヶ月に1回)に入る段階となると、もはやそれらの技術者達や技能者達が格納容器内に立ち入ることはないだろう。

原発の保守に関わる作業は、累積被曝線量の関係で、熟練作業者が長期継続的に就業することが難しく、未熟練の作業者に依存せざるを得ない面があるのではないか?もしそうなら、高い習熟度を安定的に維持できず、プラントの保守管理からヒューマン・エラーを減らせない。

人に替わる高性能ロボットが開発され(それでも、そのロボット本体の整備点検に携わる作業員の被爆が問題になるのだが)、全作業に投入できるようにならないかぎり、原子炉の設計品質と実用品質とは乖離の一途を辿る宿命を免れないのではないか?

この様な事情を考えると、原子力発電所というものは、その運用保守面において、他の巨大技術のそれとは明らかに異なる危うさを胚胎しているように思われる。それは、原発の直下に活断層や破砕帯があるとかないとか、地震や津波対策がどうだとか、ストレステストの結果がどうこうという以前の、使用済み燃料の処分問題に比肩する本質的な課題だ。

つい最近のテレビ番組で、フィンランドの原発では電力会社の本社が原発サイト内にあり、社長が常に在社していることが紹介されていた。それほど原発が安全であるという一種のデモンストレーションだろうが、それ相応の信頼性が確保されているからこそ出来ることだろう。

フィンランドの国土は硬い岩盤の上にある。国土面積こそ彼の国とほぼ同じでも、人口密度は約21倍、原発はほぼ13倍もあるこの国、多重にプレートが重なり断層だらけの地震列島日本とは、地殻構造が根本的に異なる。私たちの日本に、原発の安全性を担保する可能性はあるのだろうか?

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