本州の梅雨が明け、学校は夏休みに入った。夏山登山が盛んになる時期の到来だ。若い人は、大いに海山に繰り出し、青春を謳歌してほしい。
今年は来日した外人が軽装で富士山に登って遭難救助される事案が増えている。
登山は自己責任で行うものだから、個人登山であっても集団登山であっても、山と天候に関する知識と情報は人任せにせず、自分の判断で行動してほしい。判断できなければ、登らないことだ。
富士山や北アルプスなど人気を集める山々で、遭難死が続いているのは、自己顕示欲に駆られた高齢登山者が多いからだろう。
森林限界を越える3000メートル級の山稜に老人が単独行というのは、自己過信というか無謀も甚だしい。人は60才を超えると、疲労による判断ミスや体調の悪化、転倒が多くなる。
高齢登山者は体力は劣るのに依存心が旺盛で、安易に携帯電話で救助要請をする。内外の自己顕示欲に駆られた登山者が集中する以上、目を覆い耳を塞ぎたくなる事案は絶えない。
一般に集団登山のリーダーは、登山歴の長いヴェテランが務めることが多いものだが、自称・公称のヴェテランというものは、何ら安全な登山を担保するものではない。登山に限ってヴェテランというものは存在しない。危険要因が多くあり過ぎ、それらが絡み合うため、経験がそれらをカバーしきれないからだ。
それぞれの山に精通した山小屋の主とか、登山ガイド、所管する警察の山岳遭難救助隊員など、エキスパートのみが存在する。
遭難が発生すると、メディアは必ず遭難者たちの登山歴に触れるが、山の悪天候のバリエーションというものは千差万別で、経験でカバーするのは、一生かけてもできるものではない。山にヴェテランは居ないと言うのは、危機管理の知識や経験において、初心者もヴェテランも大差ないという意味である。
ヴェテランという言葉は、本家英・米では主に「退役軍人」を意味する。軍務を全うした誇りある存在である。誇らしい「隠居」の概念かと思う。これを何処の誰が訳したのか日本では、「経験を積み、その道に熟達した人・老練な人・ふるつわもの」と、ずいぶん持ち上げた。この外来語が遣われると、当人は自尊心が擽ぐられその気になり、周りも勘違いをしてしまう。
日本語化したヴェテランは、ある種敬称である。そう呼ばれて不愉快になる人はいない。ここに陥し穴がある。自他共に許すヴェテランというものは、単に経験に依拠した人に過ぎない。山で発生する危険な事象は無限のパターンがあり、経験でそれらをカバーすることは不可能である。
絶対的な能力認定法がある訳でもない、せいぜい山登りの経験年数が30年を超えている程度のキャリアに対して、この語を用いるのは不適切である。
自然相手の登山では、たとえ50年の登山歴があっても、熟達者にはなれない。自然は全ての山に精通するヴェテランというものの存在を許すほど、甘くはないのである。
私は常々登山という分野には、日本語化したヴェテランは存在しないと考えている。エキスパートなら居るだろうが、その人でも遭難と無縁ではない。
それは登山という分野が、単に大地の高所に登る行為だけでなく、気象という、極めて変転極まりない、把握と対応の困難な山岳気象と密着しているからである。
視界を奪い、体温を奪い、スリップを招く悪天候は、山岳気象の常である。
天候の急変が、山岳遭難での死因のトップてあることは意外に知られていない。
一般に警察関係の統計では、山岳遭難事故には①道迷い②滑落・転落・転倒③雪崩などがあるが、必ずしも死亡に繋がるものではない。しかし、高齢者の低体温症は、ほとんど死に直結する。私は高齢登山者の遭難死要因のトップは、天候の急変による低体温症と見ている。
森林限界を大きく越え、避難場所から遠く離れた稜線ルート上で、強風を伴う雨や濃霧の悪天候に見舞われ、ビバーク装備が無いため、体感温度が下がる風雨の中を何時間も歩き続けた結果疲労困憊し、夏でも低体温症を発して死亡するケースが多い。そのような状況下でパーティーを統御できるリーダーはいない。
避難場所を求めて彷徨するうちに、全員が体力を失い、歩けなくなり、低体温症に罹患する。
発症の引き金は、靴下・下着の水濡れである。体が乾いてさえいれば、そう簡単に低体温症にはならない。夏の富士山や日本アルプスの稜線で、風雨に晒され体が濡れたら、低体温症は必至である。
透湿性のレインウェアを着用していても、袖口やフードの襟元から雨水は容赦なく入り込むし、汗をかくと凝固水で衣服内は濡れる。水蒸気が飽和している雨や霧の中で登り降りし続けていれば、水濡れは避けられないと知っておくべきだ。
山で天候が急変した時は、山小屋に避難して回復を待つのが正しい。3000m級の稜線上で風雨に曝され、避難できる山小屋が1時間以内に無い場合は、疲労度によっては命の危険が増す。
透湿性の高いレインウェアを着ているからと過信し歩き続けてはいけない。激しい降雨中の、飽和水蒸気に近い環境下では、透湿衣類も水分を発散しない。汗をかいて内部からの凝固水(コンデンスウォーター)で体は濡れる一方となる。気温低下が重なれば、忽ち低体温状態になる。
緊急に避難するには、レインウェアを身に付けた上でツェルトを被り、ハイマツの切れ目とか岩陰に身を潜め、天候の回復を待つしか無いのである。その状態で何か食べ物を食べ、体力を温存すべきである。視界の無い所で動けば、マーキングや標識の見落としで道迷いは避けられない。
ところが人間は不安に駆られると、一刻も早く山小屋に避難しようと焦り、
視界の悪い中を1時間2時間と歩いてしまう。視界不良の中、酷似した岩だらけの岩稜帯で道迷いしたら、まず元のルートに戻れないだろう。
稜線で風雨に逢ったら、動いてはいけないという鉄則は、集団登山では案外守られない。どんなに優れたリーダーでも、パニックに陥ったメンバーたちを統御するのは不可能だろう。
登山にヴェテランは居ないのである。山は経験で馴染みを深められる場所ではない。
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