何事も、自分ひとりの力量と判断で処理できるうちは、困難にはぶつかっていない。社会に出る前の、学生の時代がそれである。
試験で佳い点を取る仕事が、本当は人生で最も易しかったのである。
その時期を過ぎ、集団・組織の一員となり、他の人々や組織との接触と関与が増え、時には自然の災禍を受けたり、戦禍に巻き込まれたり、感染症の猛威に曝されたりと、不可抗力をはじめ自分自身以外の要因が増え、影響も大きく成ってくると、物事の処理は途方もなく難しくなってくる。自分ひとりの力では片付けられなくなるのは、外部要因が絡むからである。外部要因は変幻自在で予測不可能だから、適切な対応は難しい。
そのような、先の見透せない混沌とした困難な状況下にあっても、ある一瞬、問題解決の方向性が垣間見える瞬間がある。その時に賭けるしかない。
このことから、私たちは状況が不透明な時は、成り行きを見守るのが最善の策だと学習している。それを経験的に知っているのである。
解決の方向性さえ見出すことができれば、解決に向けて、着実に正しい対処、処置をすることができる。対処・処置が間違っていなければ、事態は打開又は解決に向かうだろう。悪い方に向かったら、対処が間違っていたことなので改善する。このようにして、状況や事態を観察しながら、ひとつひとつ対処や処置を試行し、錯誤を恐れず解決への障害を取り除いてゆくのが望ましい。ひとつひとつというのが肝腎で、あれもこれもと一度にいくつも手をつけるのは失敗の素である。最も容易に手をつけることができるところから、ひとつずつ障害を取り除いていくべきである。
解決困難な問題や事態に対するもうひとつの方法は、凍結である。
ある時点での状態のまま、それ以上ことを悪化させない為に、以後一切の活動や働きかけを停止して状況を固定する。時間という解決手段に委ねるのである。
「時が解決してくれる」という言葉がある。消極的なようだが、人で成り立っているこの社会では真理である。
あらゆるものが時間の影響下にある現実世界では、時は状況に大きな変化を及ぼす。その時が来るまで、いっさい手を加えない。特に解決を妨げる障害が人にあるときは、自分を含め関係者の考え方や身体状況、社会的立場の経時的変動によって、解決の糸口が顕れることがある。
機が訪れれば、蟠りが少ないので解凍後の解決ステップは速い。
障害というものが、永久に存続するものではないという事実は、問題解決において、私たちに将来に対する明るい希望を与えてくれている。万物は流転する。
成り行きというものは、諸般の事情や因果関係、社会関係、経済事情など、あらゆる事情や関係が絡み合って形成されるものなので、個人の力ではなかなか解決や善処は難しい。成り行きに自分も流されながら、最善と思われる対応に取り組み、適宜解決を図るしか方法はないのである。
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