道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

新聞社の凋落

2022年04月18日 | 人文考察
新聞社がパッとしない。前に「テレビ局の凋落」を投稿したが、遂にジャーナリズムの牙城、新聞社の足元を、退潮の波がヒタヒタと洗い始めたのか?紙面を読んでも惹きつけられる記事が少ない。かつてあった新聞記事の見識が感じられない。そう言えば、知らぬ間に社説や論説が世論をリードしなくなり、読者を惹きつけなくなっている。その反面、愚にもつかないテレビのコメンテーターのコメントが、言論として茶の間に居場所を見つけ . . . 本文を読む
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「♪暮れそうで暮れない黄昏時は♪」

2022年04月15日 | 随想
私は息子が建て替えたこの家に住んで10年になるが、何よりも有り難く感謝しているのは、それまでの旧い家から見えていた視界を成る可く変えないでもらいたいという老人の我儘を、聴き入れて貰えたことだった。春宵値千金、花の終わったこの季節、暮れなずむ窓外の刻々と変わる空の色と情景を眺めながら、晩酌の盃を傾けるのは、洵に至福の刻である。南沙織の「https://youtu.be/ah1WOssLJ4M」の歌が . . . 本文を読む
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人文考察

2022年04月12日 | 随想
私が人文考察という語を好んで使うのは、それを自然観察の対極と捉えているからである。私の日常は自然観察と人文考察の両輪で成り立っている。したがって、当ブログの記事も、基本的には自然観察と人文考察で成り立っている。自然の観察では、対象を見た直後に調べることが多いが、人文の考察では、資料を集め読んだり、現場を視察した後で調べたり考えることになる。考察は観察よりは時間が掛かる。人文考察は、朧げにわかってく . . . 本文を読む
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頼朝の光と影(その3)

2022年04月11日 | 歴史探索
1189年7月、頼朝は自ら大軍を率いて奥羽へ侵攻した。【奥州合戦】である。28万余の軍勢を東海・東山・北陸の三道に別け、自らは東海の大手軍を率いたという。話半分としても大変な数の軍勢である。31年後の【承久の変】で、後鳥羽上皇追討に送った北条幕府軍が19万である。時代が遥かに下る戊辰戦争でも、東北列藩同盟との戦いに従軍した官軍の兵力は12万である。平家追討の時期でさえ鎌倉から動かず、入洛すらしなか . . . 本文を読む
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「焼きくさや」

2022年04月09日 | 食物・料理
かつて当ブログに「偏好食品」を投稿した。その中のひとつ焼きくさやの瓶詰をたまたま通販サイトで目に留め、矢も盾もたまらず発注してしまった。本当は焼き立てを食べたいのだが、そんなことをしたら、家族から絶縁される。かつて油粕を原料に有機肥料をつくろうとして発酵に失敗、発生した悪臭が1週間も消えず、同居家族から総スカンを喰ったことがある。凡ゆる消臭手段が役に立たず、家父長としての信頼を失った。特に孫たちか . . . 本文を読む
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