近頃では、サルコペニアとかフレイルを防ぐために、筋トレの必要性が常識になりつつあります。また筋肉の衰えは、糖尿病など老化に伴う内科疾患との関連性が高いことが知られて来ました。かく言う老生も、日頃筋トレとストレッチを欠かさないのですが、最も大切で基本的なことを忘れていました。それは、肩腰の関節の可動性と自在性への配慮です。顧みるに、その面への動作が等閑になっていました。本末転倒というものです。私や御 . . . 本文を読む
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」も18回を数え、物語はこれから佳境に入ろうというところだろう。同ドラマの登場人物のひとり、頼朝の異母弟源範頼は、遠江国の〈蒲御厨(かばのみくりや)(現浜松市東区大蒲町を中心とする地域)〉で生まれた。それにより、元服前は蒲冠者(かばのかじゃ)、元服後は蒲殿(かばどの)と呼ばれていた。父義朝の死後、後白川院に仕える公家〈藤原範季〉の養育を受ける身になった範頼は、伊勢神 . . . 本文を読む
浜松城の古城とも言える引馬城(曳馬城)の城主飯尾氏には、家康によって攻略された際の逸話が遺っている。4代目城主〈飯尾豊前守連龍(乗竜とも)〉は、今川義元亡き後の今川領遠江の防備を能く務め、徳川・織田の攻撃や調略を防いでいたが、今川氏真に家康への内通を疑われ、駿府城内で謀殺された。家康は5代目城主となった連龍(乗竜)の内室〈お田鶴の方〉に、徳川家への服属を勧めたが、お田鶴の方と家臣団は徳川に降ること . . . 本文を読む
永禄11年(1568年)、岡崎に在った徳川家康は遠州に侵攻し、今川方の〈飯尾氏〉4代の居城〈引間城〉を攻め落とした。そして直ちに、その城地の西南数丁先の三方原台地斜面を活かし、新たに城郭を築造した。旧引馬城は新城の一角の曲輪となった。城が完成し家康が浜松に移ったのは、元亀元年(1570年)の頃といわれている。今川義元亡き後、駿河・遠江に食指を伸ばす甲斐武田氏と直接対峙しなければならなくなった家康に . . . 本文を読む
コロナ禍前に、巣から落ちたスズメのきょうだい2羽を育て上げ、放鳥したことがある。以来、このきょうだいと思しき2羽は、時々餌台に姿を見せてくれ、早くも2年が過ぎた。自主的に外出を減らしている老夫婦には、嬉しい来訪である。同じ個体であるかどうか、本当に他のスズメと識別できるのかとのお疑いはごもっともだが、それがひと目で、それとわかるのである(^_^)この2羽だけが、何の警戒心も躊躇もなく餌台に飛び込む . . . 本文を読む