2006年のケアンズ紀行の2回目。
これは2006年当時の状況で書いています。そこのSNSが崩壊する時、日記を一生懸命バックアップしました。コメントを書き合っていた人は今どうなっていることでしょう。
なおコロナ禍がなくても、ケアンズの状況は異なっているようです。一応現在の情報はカッコつきで書いています。
<ケアンズの人々のご挨拶 ケアンズ紀行(その2)>
ケアンズは人口約13万人(現在15万人)、そこに年間約200万人(コロナ禍がなければ 270万人(2017年データ))の観光客が訪れる。仮に1人が10日滞在とすると(欧米およびオーストラリア国内の旅行者の滞在期間は長いとのこと)、1日あたり5.5万人で、そこにいる人の30%が観光客となる。
観光客のうち日本人は、20万人が直接ケアンズを訪問、加えて数万人がシドニー等経由で入ってきているとのこと。
そして人口13万人のうち、約1万人が日本人。定住者は1000人程度で、残りのほとんどがワーキングホリディ等の、若い人とのことである。
私はマンウォッチングが大好きで、今回も、このよそ者を平然と受け入れている町にいる人を、楽しく眺めた。
1.欧米からの観光客
日本からは、ケアンズはグレートバリアリーフダイビングに代表される若者の町である。 そのため、高齢の配偶者の両親は行くのを一時躊躇したが、来てみて安心していたようだった。
それは、私達の宿泊した郊外のコンドミニアムには、欧米の老人が非常に多く、またマーケットでの買い物でも、現地の老人が多かったからである。
町の様子を見ると、車椅子等のハンディキャップを持つ人への配慮が行き届いている。
<コンドミニアムのプールにて、欧米からの老夫婦>
ホテルのレストラン、プール、最後の日に行ったポートダグラスの浜辺等の様子から、欧米の観光客は、大家族できているケースが多い。そしてその中にちゃんと老齢者がいる。
日本人はこういったリゾートに来た場合、ともかく一生懸命、観光をやらなくっちゃ、遊ばなくっちゃと時間刻みで活動する。
しかし彼等にとっては、リゾートという場所は、お金とともに時間を優雅に浪費しながら、家族とか人のつながりを見つめ直すところなんだなと、改めておもった。
小さい子がプールで遊び、おじいさんたちがそれを見守っている。お父さんがプールサイドでバーベキューの準備をし、花咲き乱れる生垣には、きれいな小鳥が飛び回っている…・・・・
そんな情景を見ながら、私達は午後のバスツアーに出かけたのであった。
ところで、リゾートこそハンディキャップのある人を大事にする施設を整えるということについて、日本は学ばなければいけない。
(日本に輸入されているいい例として、ディズニーランドがあるのに)
2.働く日本人
オーストラリアは、日本側から言えば、初めてワーキングホリディの若者の交換を始めた国である。
日本からは、最も人気が高く、毎年約1万人がそれを利用して来ているが、かなりの部分がケアンズの近辺にいるようである。
なんと言っても、気候はいいし、安全だものね。ちなみにオーストラリアからは、毎年約1000人が日本を訪問。
そのため、レストランや店でも、それほど不自由しないほど、若い日本人の店員がいた。
ここの気候のためか、皆なにかおっとりとしたリズムで、動いていた。これがチェーン店のマニュアルに影響されない、日本人本来の姿かも。
だけど本当に、日本の女性はやさしく強いことを、仕事振りを見ながら実感した。
<キュランダツアーの日本人ガイド。日本語説明専用アーミーダック>
3.オーストラリア人
オーストラリア人と接したのは、ホテルとガイド、お店等でそんなにチャンスはなかったが、古い映画「クロコダイルダンディー」のイメージそのもの、人懐こく、純朴でタフな感じであった。
ガイドと、彼等の挨拶「グッダイマイツ」(Good day, Mate)を交わしながら、彼等の日本留学経験やワーキングホリディ経験を楽しく聞いた。
留学先が日本の田舎になってしまって、オーストラリアなまりの英語(OKをオーカイというような)を使っていたら、英語で対応できると思っていたはずの日本人も大変だったろう。
彼等は広いオーストラリアの明るい大自然で映えるけれども、危険もいっぱい。
ガイドさん、熱帯雨林の毒草、リーフのサメさん、そして海岸のクロコダイルさん、そして頭上から落ちてくる椰子の実には、くれぐれも注意してくださいね。(3日目の夜行性動物ツアーで、元気なガイドさんが毒草に触れ、動けなくなった。)
<スーパーで出会った人々、どっさりと食料品を購入>
<ナイトツアーのバーベキューを作ってくれた人、カウボーイっぽい>
4.アボリジニ
肌の黒い先住民族で、キュランダでのショー、およびモスマン渓谷の入口の集合住宅で見かけた。白人入植前は約30万人、一時期迫害にあって数万人になったが、保護政策により30万人弱まで回復したとのこと。
ガイドが、彼等は森の番をするだけで、政府補助によって生活は保証されているのだと、蔑視する口調で話した。
虐げられていた人の保護が、適切か過剰かは難しい。ガイドと話したら、いわば逆差別による弊害が出ているとのことである。
一見ひ弱そうな雰囲気だが、瞳が不思議な雰囲気を持っていた。
夜の人だ。
彼等が狩りの対象としていたオーストラリアの動物は、ほとんどが夜行性だ。夜の森で彼等はそれらを追い求め、聖霊のように、静かに動き回るのではないだろうか。
白人が入る前、この物資が豊な広いオーストラリアで、なぜ彼等は30万人程度程度であったか、またその程度の人口であったにもかかわらず、いくつかの野生生物を全滅させるにいたったか、調べてみたいなとおもっている。
<ショーに出ていたアボリジニ。ここでメインの人は欧米人との混血>
これは2006年当時の状況で書いています。そこのSNSが崩壊する時、日記を一生懸命バックアップしました。コメントを書き合っていた人は今どうなっていることでしょう。
なおコロナ禍がなくても、ケアンズの状況は異なっているようです。一応現在の情報はカッコつきで書いています。
<ケアンズの人々のご挨拶 ケアンズ紀行(その2)>
ケアンズは人口約13万人(現在15万人)、そこに年間約200万人(コロナ禍がなければ 270万人(2017年データ))の観光客が訪れる。仮に1人が10日滞在とすると(欧米およびオーストラリア国内の旅行者の滞在期間は長いとのこと)、1日あたり5.5万人で、そこにいる人の30%が観光客となる。
観光客のうち日本人は、20万人が直接ケアンズを訪問、加えて数万人がシドニー等経由で入ってきているとのこと。
そして人口13万人のうち、約1万人が日本人。定住者は1000人程度で、残りのほとんどがワーキングホリディ等の、若い人とのことである。
私はマンウォッチングが大好きで、今回も、このよそ者を平然と受け入れている町にいる人を、楽しく眺めた。
1.欧米からの観光客
日本からは、ケアンズはグレートバリアリーフダイビングに代表される若者の町である。 そのため、高齢の配偶者の両親は行くのを一時躊躇したが、来てみて安心していたようだった。
それは、私達の宿泊した郊外のコンドミニアムには、欧米の老人が非常に多く、またマーケットでの買い物でも、現地の老人が多かったからである。
町の様子を見ると、車椅子等のハンディキャップを持つ人への配慮が行き届いている。
<コンドミニアムのプールにて、欧米からの老夫婦>
ホテルのレストラン、プール、最後の日に行ったポートダグラスの浜辺等の様子から、欧米の観光客は、大家族できているケースが多い。そしてその中にちゃんと老齢者がいる。
日本人はこういったリゾートに来た場合、ともかく一生懸命、観光をやらなくっちゃ、遊ばなくっちゃと時間刻みで活動する。
しかし彼等にとっては、リゾートという場所は、お金とともに時間を優雅に浪費しながら、家族とか人のつながりを見つめ直すところなんだなと、改めておもった。
小さい子がプールで遊び、おじいさんたちがそれを見守っている。お父さんがプールサイドでバーベキューの準備をし、花咲き乱れる生垣には、きれいな小鳥が飛び回っている…・・・・
そんな情景を見ながら、私達は午後のバスツアーに出かけたのであった。
ところで、リゾートこそハンディキャップのある人を大事にする施設を整えるということについて、日本は学ばなければいけない。
(日本に輸入されているいい例として、ディズニーランドがあるのに)
2.働く日本人
オーストラリアは、日本側から言えば、初めてワーキングホリディの若者の交換を始めた国である。
日本からは、最も人気が高く、毎年約1万人がそれを利用して来ているが、かなりの部分がケアンズの近辺にいるようである。
なんと言っても、気候はいいし、安全だものね。ちなみにオーストラリアからは、毎年約1000人が日本を訪問。
そのため、レストランや店でも、それほど不自由しないほど、若い日本人の店員がいた。
ここの気候のためか、皆なにかおっとりとしたリズムで、動いていた。これがチェーン店のマニュアルに影響されない、日本人本来の姿かも。
だけど本当に、日本の女性はやさしく強いことを、仕事振りを見ながら実感した。
<キュランダツアーの日本人ガイド。日本語説明専用アーミーダック>
3.オーストラリア人
オーストラリア人と接したのは、ホテルとガイド、お店等でそんなにチャンスはなかったが、古い映画「クロコダイルダンディー」のイメージそのもの、人懐こく、純朴でタフな感じであった。
ガイドと、彼等の挨拶「グッダイマイツ」(Good day, Mate)を交わしながら、彼等の日本留学経験やワーキングホリディ経験を楽しく聞いた。
留学先が日本の田舎になってしまって、オーストラリアなまりの英語(OKをオーカイというような)を使っていたら、英語で対応できると思っていたはずの日本人も大変だったろう。
彼等は広いオーストラリアの明るい大自然で映えるけれども、危険もいっぱい。
ガイドさん、熱帯雨林の毒草、リーフのサメさん、そして海岸のクロコダイルさん、そして頭上から落ちてくる椰子の実には、くれぐれも注意してくださいね。(3日目の夜行性動物ツアーで、元気なガイドさんが毒草に触れ、動けなくなった。)
<スーパーで出会った人々、どっさりと食料品を購入>
<ナイトツアーのバーベキューを作ってくれた人、カウボーイっぽい>
4.アボリジニ
肌の黒い先住民族で、キュランダでのショー、およびモスマン渓谷の入口の集合住宅で見かけた。白人入植前は約30万人、一時期迫害にあって数万人になったが、保護政策により30万人弱まで回復したとのこと。
ガイドが、彼等は森の番をするだけで、政府補助によって生活は保証されているのだと、蔑視する口調で話した。
虐げられていた人の保護が、適切か過剰かは難しい。ガイドと話したら、いわば逆差別による弊害が出ているとのことである。
一見ひ弱そうな雰囲気だが、瞳が不思議な雰囲気を持っていた。
夜の人だ。
彼等が狩りの対象としていたオーストラリアの動物は、ほとんどが夜行性だ。夜の森で彼等はそれらを追い求め、聖霊のように、静かに動き回るのではないだろうか。
白人が入る前、この物資が豊な広いオーストラリアで、なぜ彼等は30万人程度程度であったか、またその程度の人口であったにもかかわらず、いくつかの野生生物を全滅させるにいたったか、調べてみたいなとおもっている。
<ショーに出ていたアボリジニ。ここでメインの人は欧米人との混血>