義父母を偲んで、消滅したSNSに投稿していた義父母の最期の旅行、ケアンズ紀行を再投稿しました。それもこれが最後の記事。
ケアンズに行って最もよかったとおもったのが、キュランダ高原から見た星空です。本当に感動しました。
下記は小学生だった私の子供への語り掛けの話を書いていますが、義父母も子供の頃を思い出したと言っていました。今考えてみるに、義父母とも子供の頃 空襲の経験を持っています。特に義母からは夜の空襲で逃げ惑ったとの話を聞きました。きっと戦時中は灯火管制のため、日本でも星がきれいだったことでしょう。もしかすると、それを思い出したのかもしれません。
星空のご挨拶 ケアンズ紀行(その4)
寝る前は無口だった子供が、朝起きると 星が凄かった、きれいだったとのみ何度も繰り返した。
ロックワラビーに餌付けしたことも、
オポッサムと夕食後に食パンを引っ張り合ったことも、
そしてカモノハシが、優雅に身体をひるがえして水中へ消えてゆく姿を見ることができたことすら、忘れたかのように。
そう それは昨日の夜、世界最古の熱帯雨林を、私たちは小さな懐中電灯で照らしながらさまよい歩き、小さな草原にたどり着いた。
待っていたのは、満天の星々、そしてミルキーウェイ。
ウワァ…、 皆が言葉にならず、いっせいにうめいた。
ガイドが話し始める。
南十字星、さそり座、いて座……
これだけ星が見えて始めて、さそりの形に見えるんだ。
ひときわ輝くジュピター、
ゆっくりと 人工衛星が動いてゆく。
夜露に濡れた大地に寝転んで、ずーっと眺めていたかった。
この星空の中のこの森を、かつて恐竜達が歩いていたんだね。
そしていつか人が誕生し、森と一緒に、星々と対話をはじめ、名前を付け、物語を紡ぎだした。
この星空は、今はあまり見えないけれども、日本の僕達の町の上にもあるんだ。当然ずっと昔から。
おじいさんやおばあさんと話してごらん、星空とともにいろんな思い出があるんだよ。
家族で移り住んだいろんな町、
お母さんの生まれた時、
そして戦争・・・・・・・
僕も君と話したい、
僕の田舎の思い出、
お母さんとの出会いそして結婚、
君の生まれたとき・・・・
本当に苦しい時楽しい時には、空を見上げると、そこには星々があったんだ。
だけど僕も、こんなに凄い星空にであったことはないよ。
そして、なぜ今日本の町の空に星がなくなり、そして人々が星と語ろうとしなくなったのか何てことも、話したいな。
星空の美しさを知らない人は、祝福されて地上に創られた生物ではないのだからね。