てんちゃんのビックリ箱

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初めての海外出張(その6) イングランドの地方都市にて

2021-03-06 08:57:31 | 昔話・思い出

 40年前の初めての海外出張の6回目。
 オポルトから、次はパリ。ここに3日ほどいて、調査団はフランス国内を移動、私はイギリスの地方都市に行きました。これは会社の仕事のため単独行動です。


3.旅行の過程 の続き

(8)イングランド地方都市で
 
 その地方都市はアイルランド側の港湾都市である。そこで調査団に入る前から決まっていたミッションをおこなった。

①パリからイングランド地方都市へ
 調査団から離れて、パリからヒースローに飛び、その後インターシティ(特急列車)でその町へ行った。

(イ)ヒースロー飛行場
 パリで調査団を離れ、イギリスに行ったのは2人だった。もう一人はオポルトで一緒に食事をした助教授。彼はイギリス国内で開催の別の学会に出席するとのことだった。
 ヒースロー空港に着いたときトラブルが発生した。助教授が預けた手荷物が出てこなかったのである。いろいろ2人で交渉していたが、私の乗り継ぎのバスの時間が迫っていたので、心配しつつもその場所を離れた。
 後で聞いたところでは、次の日に受け取ることができたそうである。

(ロ)インターシティ乗り継ぎ
 ヒースロー空港からバスで、インターシティのある鉄道の駅まで移動しなければならない。バス乗り場へ行ったがそこへ行く経路の違う2種のバスがあった。一応これと判断したが自信がなかったので、案内所の女性に聞いてみた。
 彼女は、私の英語の理解力が拙いと思ったのか、非常にゆっくり、そしてくっきりと教えてくれた。これがクィーンズイングリッシュなのかと感激した。
 
 無事インターシティに乗ることができた。指定席なのでそこに行ってみると、2人席が向き合って座るようになっていて、片側に母親と男の子が座っていた。人種の違う私が珍しいのか、母親にくっつきながらちらちらと私を見ていた。次の駅で降りていき、その後は4人の席を独り占めだった。
 外はほぼずっと緑の丘陵地帯。林はほとんどなく草原がうねっている。嵐が丘の世界もこんな感じかなと思った。
 目的の駅に到着し、ホテルにも無事到着できた。その日は、デリでサンドイッチを買ってきて、次の日の予習をしようと思ったが、眠ってしまった。

②企業にて
 その企業への訪問は、そこの製品を日本国内で作るさいに、ある特殊工程について技術的な条件を教えてもらうことであった。まだ技術の基本について教えてもらうという理由から、研究部門の私が行くこととなった。研究部門だから実製品については触らずに教えてもらうだけというのを強調するという意味もあった。
 実はある程度リサーチは進んでいて隠された狙いとしては、その工程の設備が彼らの使っているような大げさなものではなく、日本国内で安価に調達できる設備にできるような、規格の緩和を探ることだった。

 行く前に齟齬が生じた。相手側の調整窓口であった人から出発前に連絡が来た。社内の業務監査対象となり、1週間休みを取ってその間にその人の役割機能を確認されることになったということ。その期間は工場に出られないし接触もできないので、ついでだからその人は指定された1週間を含む2週間の休みをとって、南欧に行くとそうだ。それが私の行く期間にあたった。代理を立てるから心配ないよとのことだったが、その人が日本側の状況を理解しているか不安だった。それとともに不思議な制度があるものだと思った。(電話での英語の会話なので、理解が間違っていたかもしれない。)
 訪問日は昼前に行って、ランチを取りながら訪問内容について確認調整することになっていた。
 
 行くと門の中はクラシックな建物ばかりで広大だった。そして門の外にモダンな建物が建っていた。
 昼食時の雑談の時間にその建物について聞くと、いわゆる派遣業者の建物ということだった。ただし内実は日本とは大違いで、その企業でチーフエンジニアクラスになった人をその派遣会社は雇っていて、その企業も重要部分をそこに発注する。エンジニアはそこに行った方が収入は増えるとのことだった。これも不思議で面白いなと思った。

 訪問内容について調整した結果、まずは暫くその設備の稼働状況を見学するとともに、その制御状況を現場で聴く、その後ディスカッションで、1日で終了ということになった。次の日は予備日になり、一日周辺を観光できるのでラッキーと思った。

 まず設備の稼働状況見学。一目で設備の剛性がガチガチで、日本国内で使おうとしている設備が華奢であることがわかった。そしてこちらの装置は工程の状況を機械の中でフィードバックをかけ、操作者に関わらずちゃんとしたものを作ろうとするようにできていた。それに対し想定の日本のものは、作業者が微調整することがあるのを前提としている。工程規格の書き方によっては、こちらの思惑の設備が使いにくくなるかもしれないと思った。
 そこでその後のディスカッションでは、結果としての製品がよければ日本の思惑の設備でもいいという雰囲気を作っておく狙いを込めて、いろいろ話し合った。
 その時に先日の国際会議の話も入れた。

 その日の終わり、相手側が面白かったのと自分の仕事のエビデンスとして、議事録としたいと言い出した。ついでに工場のメインのところを見せるのと国際会議の話を聞きたいから次の日も来るようにと誘った。
 議事録については私の立場があるので、技術情報交換のみということでサインした。また工場見学は実はディスカッションを早く切り上げて見せていただきたいと思っていたので承諾した。
 その日は、ホテルに帰ると独り言も英語ででた。「I am tired」と言ってベッドにばたりと倒れ込んだ。

 次の日の午前中工場見学を行った。広い工場の建屋を順に歩いて訪問していったので、非常に疲れたが、クラシックな外観と中の最新の設備のハーモニーが素敵だった。お昼にやっと解放された。

 帰国後、職場に復帰した調整窓口の人から連絡があり、こちらの思惑通りに日本国内で調達できる設備でも実施可能なようにするとのことだった。ただし工程保証手段を設定することの条件付きでその対応が必要になった。それよりも、監査ということからその人が復帰できるのかと危惧していたが、杞憂に終わった。

③ホテル近所の散歩
 半日時間が取れたので、ホテルの周りを歩いて見た。その街は丘陵地を後背に持つ古くからの港で、運河が展開していた。可愛いカラフルな家がたくさんあった。



<丘陵地側の風景>



<港側の風景 古い塔が見えている>



<大きな運河の入口>



<運河に停泊していた船>



<道路に面して並んでいた家 二階建てバスが走っている>


④帰国
 帰りもインターシティに乗り、ヒースロー空港へ向かったはずだが、地方都市から飛行機に乗るまでの記憶がまるっきりない。
 日本へのJALはパリ発で、調査団のメンバーはパリから登場していた。彼等は後ろの方に固まって乗っており、搭乗口から乗るとすぐ挨拶できた。そしてヒースロー空港から乗った私と助教授の2人はずっと前の方・・・ 歩いていくとビジネスクラスの席だった。調査団長含め、偉い人達がエコノミーに座っているのに・・・ この機体はほぼ満員で席設定はJALの都合と、後から添乗員に聞いたが、同じ参加費を払っている皆さんに申し訳なかった。
 それまでは、エコノミーばかりだったのでビジネスクラスの良さを実感した。
 そして帰りは疲れと椅子の心地よさで、アンカレジでちょっと降りた以外は飛行中ほぼずっと寝ていた。


次は、ホテルで同室になったボス教授とのおつきあいと、この海外出張の総括
コメント
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