てんちゃんのビックリ箱

~ 想いを沈め、それを掘り起こし、それを磨き、あらためて気づき驚く ブログってビックリ箱です ~ 

初めての海外出張(その4) オポルトにて

2021-03-02 00:10:05 | 昔話・思い出

 40年前の初めての海外出張の4回目。
 やっと一つ目の個人的ミッションの地、オポルトにたどり着きました。この地における国際会議で発表をします。なお以前全体で5回と書きましたがもっと多くなります。


3.旅行の過程 の続き
(6)オポルトにて
 オポルトはリスボンよりも北のほう。ポートワインの呼び名のポルト。
この近辺は地中海性気候とのこと。夜が明けたら、日本のような緑の林の中を走っていた。そして国際会議の開かれる場所に直接到着。ホテルに行かずに、そのまま会議場に前日の観光旅行しているままの状態で入った。
 ここでは、国際会議、ホテル、2回の夕食、それから周辺の散歩について書く。

①国際会議
 最初の日に入場した会場は、席について暫くすると全体の開会式が行われた。30人の私たちを基準にすると、300人くらいはいたと思う。我々は当然もっともラフな格好だった。壇上に会議の委員長と副委員長たちが並んだが、流石に彼らは日本人の副委員長を除き正装だった。客席はラフな格好の人もいた。
 そして、委員長は挨拶の中で、日本の代表団が開会に間に合うために夜行バスできたことを紹介し、固まって集まって座っている日本の私たちのグループに、全体から拍手がなされた。

 2日目に私の報告が入っているセッションがあった。セッション内の実施方法はそのリーダーの裁量に任されていて、そのセッションでのやり方は、車座に座ってレポート作成者がそれぞれの手元にあるレポート内容を説明するというものだった。それも発表の途中で質問が可能というもので、私の報告は途中でいろいろとつかまり予定時間20分を大幅に越えて審議された。(ほかのセッションでは一般の学会のように、壇上に発表者が立ち指定時間のプレゼンテーションと質疑を順番に行っていくという形式のものもあった。)

 そのセッションは、研究発表というよりも国際規格を作るための情報整理をするというのが目的だと日本でチェックしてくれた先生から、セッション終了後に話してもらった。最初に書いたごとく、急に行けと言われたので、その位置づけをその時まで知らなかった。情けない。私の発表は、規格で管理パラメータを定義するいい発表と扱われたとのことだった。そして、ヨーロッパのこの部門参加者から、日本人はバラバラと1回来るだけで、継続参加しないから、なかなかファミリイーに入らないと不信感を持っているとのこと。せめて2年後の会議は参加してほしいと要請された。私もぜひ行きたいとそこでは思った。この時ISOの委員というのに初めてあった。
(でも1年後に部署が変わったので駄目になり、チェックした先生が2年後に会社に文句を言うとともに、直接きつく叱られた。)


②ホテル
 最初の日の会議の休憩時間に、調査団のホテルの割り振りがなされた。それで疲れたという人は、そちらに向かった。私は一応会議時間終了まで会議場にいた。
 私が指定されたホテルへの日本人の割り振りは私一人で、それもだいぶ会議場から遠かった。でもここまでの旅行中はすべてツインの2人利用だったのが、シングルになったので喜んた。
 そしてホテルにつき、部屋に入ってびっくり。広いツーベッドルームに数人で小パーティができるようなリビングがついている。部屋の調度も素晴らしい。豪華な絵が飾ってある。そしてバスルームも立派。後で知ったがジュニアスイートに相当するような部屋だった。
 狐につままれたようで、その後の夕食に集まった時に調査団の他の人の様子を探ると、みんな普通の部屋。実際に集合したそこのホテルに泊まっているメンバーの部屋に入っても、日本のホテルよりやや広い程度の普通の部屋だった。

 添乗員さんに聞いたら、国際会議主催者がまとめて宿泊場所を多量に押さえて、各参加国に割り振ったとのこと。その際に数を確保するためにいい部屋まで抑えた可能性があるとのこと。そして日本調査団内での割り振りは、団長周辺で会議場所に近い所から割り振ったみたいだから、一つ遠くのそのホテルの部屋は、もっとも若造の私になったとのこと。
 ラッキーでした、調査団への参加費は同じだったから。その後今までそんな部屋に泊まったことはありません。
 
③食事 
 国際会議でのランチは、3回か4回会場で食べたが、毎回タラの料理だった。それも塩漬けだったり、乾燥させたものを戻したものだったり。たぶん大航海時代から保存食として活用されていたものだろう。
 それに対して、夕食は2回印象の強いものがある。

(その1 港近くにて)
 添乗員が新鮮な魚を食べに行こうと誘ったので、数人で着いていった。海の香りのするところで、ここではタラは目立たず、日本のようなあらゆる種類の魚介類がでた。特に気に入ったのは、エビ、アサリ、イカ、魚などをまとめて蒸し煮した料理。そしてなんと小さなタコの墨煮もでた。ヨーロッパでタコを食べられるとはと驚いた。またワインが良かった。自家製のグリーンワイン(未熟の葡萄を使った白ワインで軽いもの)が出た。ラベルのない透明のガラス瓶に入っていて、追加していくと黒い粒が入っているものがあった。ネズミの糞と誰かが言って交換させたが、いかにも自家製っぽくていいなと思った。

(その2 ホテルの推薦のレストラン)
 こちらは、名古屋へ派遣された時に知り合ったその近くの大学の助教授の人と行ったレストランでの話。その人はおとなしい人で泊まっていたホテル以外では食べていないようだった。オポルトは安全そうだから、ちょっと冒険してみたいと、私のほうから外での夕食をさそった。誘った先はホテルに推薦を頼んだ。
 入ると、わりと混んでいた。地元ではない高齢女性が多く、国際会議出席者の奥さんたちのグループが、何組か食べているのだなと思った。(欧米では国際会議はリゾートへの旅行のようなもので、だいたい夫婦できて奥さんが遊んでいる。)
 ウェイターがメニューを持ってきて説明を始めたが、ポルトガル語でわからない。英語でと言ったら、ノー フレンチと答えてきて、英語は駄目ということが分かった。さあどうするか。 今 よくあんな度胸があったなと思い返すが、4人が食べている女性のテーブルに行って、「エクスキューズミー」 といい、食べているものを尋ねた。私が若かったせいもあるかもしれないが、ニコニコしながら教えてくれて、美味しいですよといった。
 そして戻ってきて、女性たちを指でさせないから、紙に図を描いて、この人のものという感じにして注文した。助教授もそれを注文した。
 でてきたものは、実は狙いの人のものから一人ずれていた。私の狙っていたのはブイヤベースだったが、皿いっぱいのヒラメの煮つけがドンと出てきた。でも美味しかったし、これまでにヒラメをあんな贅沢に食べたことはない。値段もむしろ安いと思ったし、助教授もよかったと言っていただいたのでほっとした。

④散歩
この旅行では行く街のことをまるっきり調べていなかった。ともかく適当にホテル近辺を歩き回った。
近くに大きな川が流れ、非常に景色がよくホテル近傍はリゾート地のよう。
街中は石畳で電車が走っていた。非常に古くからの街のようで、ゴシック建築の建物が並んでいた。印象的だったのは陶板の壁のある建物が所々にあることだった。古くても明るい太陽の中で、現役だと胸を張っているようだった。

本通りに面して暗いアーケードがあり、雑多なものを売っていた。そこを通り抜けるとスペインに戻ったかのような赤茶けた土地が広がっていた。そこにポツンポツンと赤黒いレンガ作りであろう建物。不気味な雰囲気だった。後で添乗員に聞くと墓場だろうと言った。
でも後で調べてみても、そういった風景はネットに乗っていないのでわからない。本通りの明るさと、通り抜けた場所の時間が止まったような風景の落差がずっと頭の中にある。


この他、大先生が革製品を買いに行くのに付き合った話があるが、それは別のところで。



<ホテルの近くの風景、まるでリゾートのよう>

 

<陶板をあしらった建物>

コメント (2)
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